ガールズ&パンツァー外伝 〜鉄血義勇軍〜

第二章 1


第二章 遠吠え

季節は春。 

黒森峰女学園は入学式を迎えていた。 

新入生を初め、在校生、父兄、教師一同が広大な体育館に参列している。 

黒森峰女学園は戦車道の名門校である。

入学式を迎えた新入生たちの顔はどれも誇らしげであった。 

その中でも人一倍胸を躍らせている少女がいた。 

名前は大暮真由という。 

真由は戦車道の特待生として黒森峰に入学した。 

主に情報・通信技術に長け、その能力が認められて特待生として迎え入れられた。 

特待生は授業料が完全免除される。 

真由の家は端的に言えば貧乏だったので特待生でなければ授業料の高い黒森峰に入ることはできなかった。 

黒森峰に娘が入学できたことに真由の両親は大変喜んだらしい。 

真由自身も戦車道が大好きだったので戦車道の名門であるこの学校に入れたことに心の底から喜んだ。 

誇らしさと嬉しさを胸に抱きながらこの日を迎えた真由は、厳かに、滞りなく進んでいく式に心酔していた。 

来賓祝辞や在校生代表の演説等が終わり、新入生代表宣誓の項目を迎えた。 

凛とした面持ちで前方を見ていると見覚えのある人物が視界の中に姿を現した。 

そして直後にその人物の名前が呼ばれた。 

「新入生宣誓!新入生代表、西住みほ!」 

「はい!」 

西住みほは名前を呼ばれると大きな声で返事をして壇上へ向かう階段を昇っていった。 

緊張しているのか少し足の運びがぎこちなかったが、みほの姿を真由は目を輝かせながら見ていた。

みほのことは、中学生の時にテレビでやっていた戦車道の試合で初めて目にした。

テレビに映っていたみほはとてもかっこよくて、その時から真由にとっての憧れの存在になった。

黒森峰のエースである姉のように有名では無かったのだが、姉にはない違う強さをみほに感じていた。 

自分もみほみたいに強くなって戦車道で活躍したい。 

それが真由の夢だった。 

夢を与えてくれたみほが同じ黒森峰に入学すると知ったとき、こころから嬉しかった。  

その西住みほが壇上のマイクの前に立つ。 

「………………………………………………」 

みほは喋りだした様子だったが館内のスピーカーからは音が出ていなかった。 

周囲のざわつく雰囲気に気づいたみほは、同時にマイクのスイッチが入っていないことにも気づいた。 

慌ててマイクのスイッチを入れる。 

「す、すいません!!」 

みほは顔を赤くして大声でマイクに向かって誤った。 

緊張に包まれていた会場はどっと笑いに包まれた。 

真由も憧れていた人物の天然さにちょっと驚いた。 

「ほ、本日はお日柄もよく…えっと、私たちの、は、晴れの日に…わ、わざわざお集ありく、くださり、あ、あ、ありがっとございまーすっ!この日が迎えらる…られたことに感謝します!…えっと…」 

たどたどしい口調でなんとか喋っているみほの姿を見ていた生徒達はクスクスと笑っていた。 

『あれって西住流の子なの?なんか幻滅しちゃった』 

『だっさ。なんであんな緊張してんの』 

『なんかあの子バカそうだね~』 

『お姉さんとは大違い』 

ひそひそと周囲からみほをからかう声が聞こえてくる。 

真由はその嘲笑を聞いていると、何故だかひどく腹立たしくなってきた。 

確かにそのあまりに間抜けな姿に笑ってしまうのも仕方がないだろう。

だが憧れの人物が嘲笑されるのを聞いて自分がバカにされたような気分になってしまった。 

本当のみほは凄いんだぞ!と、その場で叫んでやろうかと思ったが、何とか我慢した。 

みほは恥ずかしさと闘いながらも必死に宣誓文を読んでいる。 

 真由は周りに流されること無く、静かにみほの宣誓を聞いていた。 

なんとなく冷めた目で周囲の緩んだ顔を見渡した。 

すると、ふと自分と同じく笑っていない生徒に気がついた。 

無表情で背筋を伸ばしたまま微動だにしないその生徒は銀髪でとても綺麗な顔立ちをしている。 

「誰だろう…」 

真由はその子が非常に気になり、じっと見つめた。 

するとその子もこちらの視線に気づき真由を見返してきた。 

銀髪の少女の瞳はしっかりと真由の瞳を捉えた。

とても冷たい眼光を含んでいる。

真由は永遠の時を感じるかのような、なんだか不思議な錯覚を覚えた。 

体が緊張して額から冷たい汗も吹き出てきた。 

その汗が頬を伝わっていく。 

伝った汗は顎先でどんどん体積を増やし、最後には自重に耐え切れず、光を反射するほどに磨かれた体育館の床に滴り落ちた。 

次の瞬間、突然周りから拍手が起こり真由ははっと現実に戻された。 

どうやらみほの演説が終わったらしい。

我に返った真由は壇上を見やると、心なしか疎らな拍手の中みほが恥ずかしそうに壇上を降りて行くのが見えた。 

気を取り直して銀髪の少女を見ると何事もなかったかのように前方を静観している。 

真由はその後も式中何度か銀髪の少女に視線を向けてみたが、その少女がこちらを見返してくることは二度と無かった。 

 

入学式の後、クラス分けの発表があった。

真由はその発表を聞いて歓喜した。 

西住みほと同じクラスだったのである。 

真由はクラスのオリエンテーションが終わると、早速みほに声を掛けた。 

「西住さん!」 

「あ、えーと大暮さん…だよね?」 

「うん!大暮真由だよ!あのね…私、ずっと西住さんのファンだったの!」 

「え?ええ?」 

みほは呆気にとられた顔をした。 

「中体連で西住さんの活躍を見て私すっごく感激したんだ!敵の裏をかいたまちぶせ作戦とか、砲弾が飛び交う戦場を駆け回りながら臨機応変に戦う姿とか、もう見ていてドキドキワクワクしたよ!そして次々と敵戦車を撃破する西住さんの三号戦車…かっこよかったなあ~」 

いきなり声を掛けられて褒めちぎられたられたみほは顔を赤くした。 

「え、え~!そんな風に言われたのは初めてだよ…」

「そうなの!?西住さんって、すっごく魅力的な戦い方をするからファンの人多いんじゃないかなあ~」 

「そ、そんなことないよ!あ、え~と、さっきの自己紹介で大暮さんも戦車道するって言ってたよね?」 

「うん、私も戦車道やってるよ!といっても中学時代は県大会に出るのがやっとだったんだけどね。でも私戦車道が大好きなの。だからとっても強くってかっこいい西住さんは私の目標でもあり憧れの存在なの」 

「え~!私そんなに強くもかっこよくもないし…。あ、ああそうだ、大暮さんも戦車道の科目とるんだよね?」 

「もちろん!というかそもそも戦車道の特待で入学したしね。西住さんと同じ学校で戦車道できるなんて夢みたいだよ!」 

「そ、そんな…」 

みほはオリエンテーションの間ずっと浮かない顔をしていたが、嬉々としている真由を見て、いくらかましになったようだ。 

「じゃあこれからは一緒の部隊の仲間ってことだよね。不束者ですがよろしくお願いします!」 

みほは握手しようと手を差し出してきた。 

「あわわわ…こ、こちらこそよろしくお願いします!!」 

みほから丁寧な挨拶をされてしまった真由は慌てながらも握手を交わした。 

「え?」 

と、真由は唐突に声を漏らした。 

みほの手の感触に少々驚いてしまったのだ。 

何故ならその手はあまりにも女子高生らしくなかったからだ。

肌は酷く荒れていて痛いくらいにガサガサとしているし、所々厚く固くなっていて傷だらけ。 

血管も太く浮き出てる。 

戦車道では何かと鉄と油に触れることが多く真由の手もそれなりに痛んではいたが、みほのそれは比べ物にならない程だった。 

日々過酷な修練に励んでいるのが容易に想像できた。 

真由はみほのとても年相応には見えない手を思わずずっと握ってしまっていた。 

「あ、あの…」 

「あ、ごめんなさい!」 

真由はみほの困った表情を見てやっと手を離した。 

「あはははは…!西住さんの手すごいね!やっぱり戦車道の練習、相当やってるんだろうなあ」 

真由は頭をかいて恥ずかしさを紛らわした。 

すると赤面する真由を尻目にみほは少し顔を下げた。 

「全然すごくないよ。この手を見た人達はいつも怪訝な顔をするんだ。明らかに気持ち悪いって顔をする人もいる。小学校の頃なんか男子達にバカにされっぱなしだった。ほんと嫌になっちゃう」 

みほは笑いながらも少し悲しそうな目をした。 

それを見た真由の脳裏に入学式で嘲笑されていたみほの姿が過った。 

真由はしまったと思い、軽々しく言葉を発してしまった自分を戒めるかのように真剣な顔をしてから、下を向いているみほの顔を覗き込んだ。 

「そんな男子達なんか気にしなくていいよ。西住さんのその手を見て西住さんの努力が理解できないような人間は無視だよ、無視!西住さんをバカにするやつは私が許さないんだから!」 

真由はみほを励ますように声を大きくした。 

「大暮さん…ありがとう。そう言ってくれると嬉しいな。大暮さんみたいないい人に入学早々出会えて良かった。これから一緒に頑張ろうね!」 

みほは女子の真由が見ても惚れてしまいそうなくらいの満面の笑みを浮かべた。 

「うん!頑張ろう!西住さんについていけるように私もいっぱい練習しなくちゃ!」 

真由も憧れていたみほと出会えたことに嬉しさを隠せなかった。 

「あ、そういえばこの後、戦車道専攻の生徒は校庭の格納庫に集まらないといけないんだよね?」 

真由は思い出したかのように言った。 

「そうだね、そろそろ行かなきゃ。一緒に行く?」 

「行く行くー!」 

そうして二人は教室を出て集合場所の格納庫へと向かった。 

 

格納庫にはすでにたくさんの新入生たちが集っていた。 

ざっと100人程であろうか。 

今年は例年より戦車道を専攻する生徒が多い。 

というのも毎年行われる全国大会で、黒森峰は9年連続優勝を果たしており、今年の大会で10連覇という偉業がかかっていたからだった。 

もし10連覇を果たせば日本の高校生戦車道史上初めての事となる。 

ここに集まっている誰もがその歴史的勝利に貢献したいと思っていた。 

「かなり多いんだね。強豪校なのはわかってたけどこれ程までとは思わなかった」 

真由は人数の多さに驚いた。 

「一年生だけでこの人数だからね。二、三年生が200人くらいだから、部隊総勢300人ってとこかな」 

みほも驚いていたが冷静な口調で言った。 

「実際に戦車に乗って戦場で戦えるのは一年から三年合わせて50人程。みんな仲間でありながらもライバルだよ。レギュラーの座を勝ち取る為には生半可な努力じゃあ無理かもね…」 

みほは厳しい面持ちで言った。 

「ひええ…なんか自信なくなってきたな…。でも西住さんなら楽勝でしょ?」 

「いやいや、みんな全国から集められた実力者だよ。そんな簡単にはいかないと思う…」 

そんな会話をしていると、ざわつく新入生達の前に軍服を着た男女が現れた。 

男の方は背が高く角刈りで黒縁眼鏡をかけている。

女の方は美人でまだ若く短い黒髪だった 。 

二人は静かに床を鳴らしながら歩いてきた。 

男は皆の前まで来ると突然言葉を発した。 

「貴様ら何をしている」 

男の脈絡の無い言葉に場は静まりかえった。 

「何をしていると聞いている!!」 

男は続けて大きく声を荒げ叫んだ。 

そしてポカーンとした表情をしている目の前の女生徒に近づくと、その女生徒の頬をいきなり平手で殴りつけた。 

「痛いっ!!」

女生徒は叫びながら殴られた頬を抑え、その場にゆっくりとひざまずいた。 

痛みをこらえながら涙を流している。

一瞬にしてその場に凍りつくような緊張が走った。 

男は静まりかえった周囲を見渡すと再び怒号を上げた。 

「アホみたいに突っ立っとらんで整列せんか!!」 

格納庫に響きわたる男の声。 

集まった生徒たちは急いでクラスごとに整列した。 

殴られた女生徒も周りの生徒に抱えられて何とか列に入る。 

整列した生徒達を前に男は再び喋りだした。 

「私は陸上自衛隊第8師団所属二等陸佐の藤村武三だ。この黒森峰女学園戦車道部隊の特別顧問を引き受けている」 

真由やみほを含めたその場全員が驚いた。

「主に新人教育を担当している。自衛官である私達が諸君らの教官という事だ。諸君らにはこれから1ヶ月間、私の訓練カリキュラムに沿って行動してもらう」 

藤村二佐はそういうと横にいる女性士官の名を呼んだ。 

「蝶野亜美一等陸尉」 

「はい」 

呼ばれた蝶野一尉は口を開いた。 

「私は蝶野亜美と言います。階級は一尉です。私も藤村二佐と同じく新人教育に携わります」 

蝶野一尉は藤村二佐の恐い顔とは違って少し柔らかい表情をしていた。 

「これから行われる新人訓練では三人または四人編成のチームで行動してもらいます。よってこれよりチームの発表を行います。呼ばれたものはチームごとに並び直して下さい」 

蝶野一尉は持っていた書類に目を向けた。 

「第一部隊、倉田早苗、岡部由紀奈、北原裕子。第二部隊、舞塚明穂、坂田優、佐田美奈子。第三部隊、那須千尋…」 

蝶野一尉は唐突に次々と名前を読み上げ始めた。 

生徒たちは慌てながら呼ばれた順に整列した。 

「第十三部隊、西住みほ、大暮真由、逸見エリカ」 

真由たちの名前も呼ばれた。 

偶然にも真由とみほは同じチームだった。 

喜びを隠せない様子で真由はみほと共に並んだ。 

そして横に並んだもう一人のチームメイトを見るとそこにも見覚えのある生徒がいた。 

「あ…!」 

逸見エリカと呼ばれたその生徒は入学式で真由と目が合ったあの銀髪の少女だった。 

エリカはとても落ち着いていて、横目でこちらを見た。 

お互いにまた目が合う。 

「よ、よろしく…」 

真由はエリカの独特なオーラに気圧されながらも小声で挨拶をした。 

「よろしく」 

エリカは不愛想に挨拶を返してきた。 

続けてみほもエリカと挨拶を交わし、三人はメンバー発表が終わるのを待った。 

程なくして総チーム数、四十八部隊が振り分けられた。 

「これからの訓練では常にその部隊でチームを組み、行動することになる」 

部隊編成を静観していた藤村二佐が口を開いた。 

「先程も言ったが、1ヶ月間私の指導の下訓練を行っていく。訓練中は規律を守り速やかに行動することが最低限の義務となる。黒森峰に入れたことで浮かれているのだろうが、甘ったれた考えは捨ててもらう。貴様らが女だろうが私は容赦はしない。厳しくしごいてやるから覚悟しておけ。最強の戦車道部隊として最強の称号を得ることが我々の最重要目的だ」 

藤村二佐の言葉は一同に緊張と畏怖の念を植え付けさせた。 

「明日から早朝練習を始める。校庭に朝5時集合だ。今の隊列で整列しておけ。以上、今日はこれで解散」 

そう言うと藤村二佐と蝶野一尉は早々に立ち去ろうとした。 

「許さないんだから!」 

突如、女生徒の大声が格納庫中にこだました。 

真由は驚いて声の方を見やると、先程藤村二佐に殴られた女生徒が怒り心頭の表情で藤村二佐を睨んでいた。 

「なんだと?」 

藤村二佐もするどい眼光で女生徒を睨み返した。 

「私の祖父は県議会議員なのよ!祖父に言いつけてあんたなんかクビにしてやるんだから!」 

女生徒は憎しみのこもった眼光を藤村二佐にぶつけると、その場から走り出して格納庫から出ていった。 

「待ちなさい!」 

蝶野一尉が追いかけようとすると藤村二佐はそれを制止した。 

「やめておきたまえ蝶野一尉。ふん、何が県議会議員だ。笑わせてくれる。たかが地方議員の田舎役人に何ができるというのだ」 

藤村二佐は生徒達に再び向き直る。 

「いいかよく聞け!我々の部隊にはあのような軟弱者は必要ない!私に不満のある者はやめてもらって結構だ!そうではないと思う者は明日からの訓練でやる気を示せ!」 

生徒たちは一連のやり取りと藤村二佐に圧倒されていた。 

「蝶野一尉、あの生徒はクビだ。二人になってしまった残りのメンバーを他の部隊に分散させろ」 

「りょ、了解しました」 

そうしてメンバーは再編され、一部隊減って四十七部隊となった。 

「それでは一同解散」 

藤村二佐の号令で生徒たちは口を噤んだまま格納庫を後にしていった。 

 

翌日からの訓練は予想通り厳しいものだった。 

藤村二佐の激しい指導が飛び交う中、朝から体力トレーニングと筋力トレーニングをこなし、午前中の座学を終えた午後からは実際の戦車を使っての訓練が行われた。 

目標を達成できなかった場合や失敗した場合は全て部隊ごとの連帯責任となり、部隊全員に更につらい訓練が課せられていた。 

肉体的にも精神的にも追い詰められ、訓練開始一週間で一年生部隊全員が疲弊しきっていた。 

そんな中、あきらかに周囲とは実力の違う部隊があった。 

真由、みほ、エリカ組の第十三部隊だ。 

基礎訓練こそ周りと同じく疲弊している様子だったが、実戦訓練となると他を圧倒するほどの技術と強さを見せつけた。 

特にみほとエリカの実力は抜きん出ている。 

真由は何とかついていくのがやっとだったが、この二人と部隊を組めたことに深く感謝した。 

一年生の実戦訓練では二号戦車L型、通称"ルクス(Luchs)"が採用されていた。 

ルクスの特徴は路上最大速度60km/hという速度性能だが、更に黒森峰は砲塔に強力な60口径5cm戦車砲を搭載させていた。 

通常二号戦車は機関砲を主に搭載しているのだが、戦車道の試合において機関砲は威嚇以外の意味をなさないため(それでも本来搭載されている20mm機関砲はかなり強力なのだが)徹甲弾が撃てる戦車砲を用いた。(当然ながら副武装として7.92mm機関銃は搭載されている) 

現在、十三部隊の3人もこの高い機動力と攻撃力を備えた戦車で模擬戦闘訓練を行っている最中だ。 

3部隊のルクス3両で1チームとし、3両対3両の練習試合を行っていた。

全車両撃破したチームが勝ちという殲滅戦ルールだ。 

場所は深い森の中。 

十三部隊のルクスは鬱蒼と生い茂る草木で身を隠していた。 

「後方より敵機接近中だって。後退した方がいいんじゃない?」 

ルクスの車内で、真由は味方からの通信内容をエリカに伝えた。 

「いいや、敵はこちらの存在に気づいていないわ。気づいていればすでに射程内に入っているだろうから砲撃してくるはずよ。このまま身を潜めて近づいてくる敵を待ち伏せるわ」 

そう言うとエリカはキューポラから身を乗り出して辺りを見渡した。 

森の木や草が深く生い茂っていて遠くまでは見通せない。 

「西住、エンジンを切ってちょうだい」 

「了解」 

操縦手を担っていたみほはエリカの指示に従い戦車のエンジンを切った。 

再び身を乗り出したエリカは手の平を耳に当てて目を閉じた。 

真由はその様子を車内から見上げた。 

エリカはパッと目を見開くと、車内の二人に指示を出した。 

「敵機のエンジン音が聞こえたわ。5時の方向よ。おそらくこちらの存在に気づかず通り過ぎるはず。敵機を確認したらエンジンを再始動し即発進よ」 

「おっけー!」 

「了解」 

二号戦車ルクスは通常、車長、通信手、砲手(装填手)、操縦手の4人で運用する戦車だ。 

3人しかいない一年生の部隊は当然役割を兼任する必要があった。 

十三小隊は車長と装填手にエリカ、操縦手にみほ、通信手と砲手に真由を置いた。 

エリカやみほは難なく仕事をこなしていたが、今まで通信手以外まともにやったことの無かった真由は四苦八苦した。

そこで通常砲手が兼任する装填手をエリカが兼任し、代わりに車長が兼任するはずの通信手を真由に兼任させることでその負担を軽減しようとした。

それでも真由にとってはかなり荷が重い事だった。

緊張気味の真由の横で、エリカは冷静な表情をしながら50mmの徹甲弾を弾薬庫から取り出した。 

勢いよく装填すると頭だけキューポラから出した。 

大きな走行音と共に50m程先の草木が大きく揺れたのが見えた。 

「よし、エンジン再始動よ」 

エリカの合図でみほはエンジンのスタータースイッチを押した。 

HL66Pガソリンエンジンが鳴り響き、真由達の体を震えさせた。 

クラッチを繋げてアクセルを踏み込む。 

「西住、二時の方向よ」 

「了解」 

みほは素早くギアを5段まで加速させた。 

操縦は下手だと部隊結成時に言っていたみほだったが、高速でも木々に衝突することなく森の中を疾走できるほどの操縦技術を持っていた。 

敵機の後ろにいとも簡単についた。 

車間距離は10mも無い。 

「大暮、照準を敵機に合わせなさい」 

「おっけー!」 

真由はエリカの命令で潜望鏡を覗き込み、油圧式のハンドルを回して砲塔を旋回させた。 

レティクルが敵ルクスの車体中心に重なる。 

すると敵もこちらに気づいたのか砲塔をこちらに向けて旋回させてきたのが真由には見えた。 

「エリカ、敵もこっちを狙ってきてるよ!」 

「ふん、もう遅い。撃て」 

真由はエリカの合図とともにレバーを引いた。 

大きな砲撃音が鳴り響き、敵ルクスの車体を打ち抜いた。 

敵ルクスは衝撃で前方に車体を二回転させた後、大木にぶつかり動きを止めた。 

「やったあ!」 

真由は大きくガッツポーズを決める。 

真由達のルクスはそのまま撃破した敵機を通り過ぎた。 

エリカはキューポラから目線の高さまで頭を出し、敵ルクスの砲塔から白旗が上がっているのを確認した。 

『こちら十三部隊逸見、敵機一両撃破』

エリカは無線マイク(咽頭マイク)を首に押しつけて味方に敵撃破を知らせた。 

するとその直後。 

敵撃破の喜びは束の間、遠くの方から砲撃音が聞こえた。

砲弾が真由達のルクス後方に着弾した。 

「別の敵車両がこちらを発見しているわ。西住、トップギアで走り抜けて」 

「それは無茶だよ!これ以上速度を上げたら木にぶつかっちゃう!」 

「ちっ…」 

エリカはしかめっ面でキューポラを閉じた。 

するとみほは操縦しながらエリカに話しかけた。 

「敵はこちらを補足しているとは言え、この視界の悪い森の中じゃ早々狙う事なんてできないよ。多分距離も300m以上はあると思う」 

「そうね。さっきの砲撃音からすると近距離で無いことは確かだわ。よし大暮、味方に現在位置と状況を報告しなさい。味方の状況も同時に確認よ」 

「おっけー」 

真由は地図を見ながら首の無線マイクを押した。 

『こちら第十三部隊。現在敵一両撃破後、もう一両の敵に見つかりB20地点を南下中。こちらからは敵の姿は確認できていない。敵との距離は離れていると思われるが、おそらくこちらを追ってきている。第七部隊、そちらはどうだ?』

『こちら第七部隊。現在B50地点で敵機と交戦中!まずい状況だ!至急応援求む!』 

無線の向こう側から切羽詰まった声が聞こえてきた。 

「第七部隊の方に残りの一両か…。大暮、応援に向かうと伝えなさい。あと第三十三部隊にも応援要請よ」 

エリカの指示に真由は頷いた。 

『こちら第十三部隊。至急第七部隊の応援に向かう。第三十三部隊も第七部隊の応援に向かって』 

『こちら第三十三部隊。こちらも至急第七部隊の応援に向かう』 

『よろしくね』 

十三部隊のルクスは第七部隊の言っていたB50地点へ方向転換した。 

先程こちらを撃ってきた敵機の姿は依然として見えていなかったが、敵の砲撃は1発飛んできただけで止まっていた。 

「敵もこっちを見失ったのかな?」 

真由はエリカに向かって言ったが、エリカは無反応だった。 

代わりにみほが答えた。 

「この視界の悪い森で遠距離から敵を視認し続けるのは無理だよ。こっちもそれなりのスピードで走行しているしね。そろそろ森を抜けるんじゃない?」 

「そうだね、森を抜けたらすぐにB50地点だよ。第七部隊大丈夫かな」 

真由が味方を心配していると無線が入ってきた。 

『第七部隊、敵機に撃破された…』 

悲痛な声だった。 

「あー、間に合わなかったみたいだね」 

真由は溜息交じりで言った。 

すると、第三十三部隊から無線が入る。 

『こちら第三十三部隊、B50地点に到着。敵機確認した。これより攻撃を開始する。十三部隊はまだか?』 

『こちら第十三部隊、もうすぐ到着する』 

真由は返事を返した。 

「森を抜けるよ」 

みほがそう言うと真由達のルクスは森を出た。 

「西住、トップギアに入れて。私達を狙っていた敵もこちらが援護に向かうのは百も承知のはずよ。森を抜けたら丸見えになる。最大速度で的を絞らせないで」 

「了解」 

みほは6段にギアを入れてアクセルをべた踏みした。 

辺りに遮蔽物は全くなかったが、小高い丘や窪んだ地面が多い場所だったので車体は激しく揺れた。 

エリカは制服の帽子を脱ぎ捨てると、キューポラを開けて上半身を乗り出した。 

すさまじい風圧で髪が激しく乱れたが、何とか手で制した。 

抜けてきた後方の森から砲弾が飛んできた。 

「西住、後方から撃たれてる。なるべく速度を落とさないで」 

「了解。真由さん、舌を噛むと危ないから気をつけてね」 

「…おっけー」 

真由はすでに車内で頭をぶつけて一人うずくまっていた。 

エリカは前方を確認した。 

「三十三部隊と敵機を発見した」 

三十三部隊と敵機は走行しながらの撃ち合いを展開していた。 

「敵が三十三部隊に気が向いている隙に後ろへ回り込んで挟み撃ちにするわ。大暮、三十三部隊に連絡して」 

「おっけー!」 

「それと、徹甲弾も装填しておきなさい」 

「え…お、おっけー!」 

真由達のルクスは最大速度で敵機の後ろに近づいた。 

敵機との距離およそ200m。 

「大暮、狙いを定めて」 

真由は潜望鏡を覗き込んだ。 

「撃て」 

放った弾は的を捉えることができずに地面に着弾した。 

60km近い速度で走行しながらこの距離の目標に当てるのはとても無理な話だった。 

すると敵機の動きが急に止まった。 

「まずい、次弾装填急いで!」 

エリカの指示で真由は急いで徹甲弾を取り出す。 

敵ルクスの砲塔から砲弾が放たれた。 

『こちら第三十三部隊、やられた…』 

三十三部隊の車体から白旗が上がった。 

敵機は十三部隊の装填の隙をついて車体を制止させ、狙いを定めて三十三部隊を撃破したのだった。 

「ちっ…代わりなさい!」 

砲手席を真由から奪うと、エリカは潜望鏡を覗き込んだ。 

「西住!速度を落としてはダメよ!」 

真由達のルクスは後方からの砲弾を掻い潜りながら、敵ルクスに向かっていった。 

再び走り出し始めた敵ルクスの横を距離2m程でかすめながら通り過ぎようとしたその瞬間、エリカはレバーを引いた。

徹甲弾は敵ルクス側面の車体に突き刺さり、 敵ルクスはその衝撃で横転して白旗を上げた。 

「後方に最後の一両が見えたよ!森から抜けてきたみたい!」 

エリカの代わりにキューポラから顔を出していた真由が言った。 

「よし大暮、徹甲弾を装填して」 

エリカはそう言うと砲手席を離れて真由と入れ替わるようにキューポラから頭を出した。 

「西住、前方左の窪地に入って」 

真由達のルクスは速度を保ったまま窪地へと流れ込んだ。 

かなり広い窪地だったが傾斜はきつく、深さは3m程あった為、敵から車体は完全に隠れた。 

「ここで窪地から出ずにUターンよ」 

エリカの指示で一気に減速し、車体を180度回転させた。 

そしてまた速度を上げて、窪地に入ってきた方へと向かった。 

急な傾斜を猛スピードで駆け上がる。 

飛び出すように窪地を脱出すると、敵ルクスが入れ違い様に窪地へ入っていった。 

「急旋回!!」 

真由達のルクスは急停車しながらも急旋回した。 

敵も地面を横滑りしながら急旋回する。 

だが、みほの旋回技術の方がはるかに上回っていた。 

窪地の上から見下ろすように敵ルクスを完全に捉えた。 

真由はレティクルを見つめながら息を飲んだ。 

「撃てぇ!!」 

エリカの指示と同時に発射された徹甲弾は、敵ルクスの車体後部のエンジンを貫いた。 

エンジンが爆発し、あっという間に炎に包まれた。

ルクスの砲塔から勢いよく白旗が上がった。 

「よっしゃー!全機撃破だよ!勝ったねみほ!」 

「うん!真由さんすごいね!もう立派な砲手だよ」 

「そうかなーえへへー」 

真由は嬉しそうな顔をするとキューポラから身を乗り出していたエリカに呼びかけた。 

「エリカ、やったね!さすがだよ~!」 

真由の嬉々とした態度とは裏腹に、エリカは真由の言葉に何の反応も示さなかった。 

燃え盛る炎を見つめたままで、真由に気づいていないようだった。 

そして無線マイクを首に押しつけた。 

『敵機撃破』 

無線で撃破報告をしたエリカは口角を上げ、うっすらと笑みを浮かべていた。 

普段滅多に見せなかったエリカの笑みが、真由にはとても奇妙に見えた。