これが本当の本土決戦death

プロローグ 2


そしてこれまで軍事同盟国だった日
本、韓国に対して在米軍の駐留経費
の引き上げを露骨に要求してきた。
さらに、もし言い分が通らぬ場合は
半年以内を目処に駐留米軍の撤退も
ありうると通達してきたのである。

恐らく全軍撤退は非現実に思えるの
だが、仮に日韓の駐留米軍の六割が
撤退したとすれば両国の防衛力は大
規模な修正を強いられる。

韓国では核兵器を所有すべきだとの
世論が沸き起こり、政府も次回選挙
の票欲しさと「核」という万能兵器
を我が国も所有したいという甘い誘
惑に惑わされていた。


2020年6月1日付、朝鮮日報の朝刊第
一面には

「米国の在韓米軍についての経費負
担額増大、若しくは撤退の示唆は東
アジア地域の平和と安定を著しく乱
す事に繋がる。我が国としては不本
意ながら核兵器開発を検討せざるを
得ない」

という文言を政府の公式見解として
発表した。また、米軍駐留費の大幅
な引き上げに対して「経済上困難」
とも。

この記事を読んで怒りを顕にしたの
は、否、怒りを顕にしたかのように
振るまった人物がいた。


中華人民共和国国家主席 昌近平で
ある。
発表の翌日、彼は韓国領事館を呼び
出し厳重抗議した。その抗議内容は

「もし貴国が核兵器開発を検討する
ならば我が国は半導体部品、加工食
品、農産物、海産物の輸出を制限す
る」

といった強硬な制裁条件だった。

6月7日、中国国営の新華社通信は年
内に金日恩と平壌で首脳会談する用
意ありと北朝鮮側に通達するまでに
至ると韓国政府内は動揺し混乱した


韓国大統領朴基文は韓国政府の核兵
器開発発言に対し

「あの発言は数ある選択肢の一つに
過ぎない。我が国は中国と敵
対するつもりは全くないのである。
あくまであの発言は米国に対する牽
制である。」

と声明を出し懸命に中国政府をなだ
めた。

米国のトラップ政権と中国の昌近平
との間で難しい国の舵取りを迫られ
朴基文であったが、あまりにも中国
に外交の重きを置いたかに見える政
策は後々に自身の首を締める事にな
る。牽制云々の声明後、当然の事な
がら米国外務省からクレームが来た
のであるが朴大統領の弁明は終始し
どろもどろであった。韓国の様な半
島国家の運営は大国に囲まれた場合
大変難しい。
二年後の中国の日本侵攻作戦時には
すでに韓国は軍事、経済を中国に握
られていくのである。戦災こそ無か
ったが中国人の韓国人に対する接し
方は主人と奴隷の様に変化していった。
自分の国なのに外国人に隷俗しなけ
ればいけないのは朴基文のせいだ、
という感情が韓国国民の間に鬱積し
ていく。


韓国大統領 朴基文は言わずと知れ
前国連事務総長である。二期、10年
間就任した。
彼はその要職を退いた後、韓国大統
領選に出馬し、輝かしい経歴と実績
と抜群の知名度を武器にして第19
代大韓民国大統領に就任した。
就任時、与党支持率は95%にも登っ
たという。

当時の昌近平及び中国政府は万来の
拍手で讃えた。

それは当然の成り行きである。

朴基文の国連事務総長時代にその職
務とは少々かけ離れた中国贔屓が行
なわれたからだ。
彼は度々中国の政治的イベントに国
連事務総長の肩書きを背負って参加
した。
一つ例を挙げるならば2015年に中国
天安門で大々的に行われた式典「抗
日戦勝70周年記念パレード」に出席
し、中国国民や参列した各国首脳の
前に立ち誇らしげに手を振ったりした。

米国を始めとする元西側諸国陣営は
これを冷ややかな視線でいたが、一
番苦虫を噛む思いをしたのは当然我
が国日本だったろう。
日中戦争時、日本と戦闘を交えたの
は主に蒋介石率いる国民党だった。
当時中国共産党軍は山中に潜み国民
党の力が日本軍に削がれていくのを
眺めていたに過ぎない。
それを、70年も過ぎ悪党から世界を
救ったような趣旨の式典を見せられ
るのはどんな日本人としてあまりい
い気がしない、と私個人は思う。

だが、そうでない者もいた。
驚くべき事に左派リベラル的政治家
はむしろ好意的な感情を持って式典
を見ていた。
加えて、殆どの日本人(特に若年層)
は無関心であった。
結局、日本人とはそういう民族なの
だ。

ともあれ、日本が割りに合わない悪
役を演じさせられたのは確かである
。そして、その原因は朴基文や昌近
平の個人的な資質だけではない。
端的に言ってしまえば身も蓋も無い
が中国、韓国は「反日」国家だから
である。両国は「反日」というキー
ワードの下では常に協調し、現在に
至るまである種の蜜月関係を維持し
てきた。

しかし、注意しておかないのは同じ
「反日」でもその本質がまるで違う
事だ。
韓国の「反日」は“アイディンティティ”であるのに対し、中国のそれ
は”プロバガンダ“である。
これまで中国はそのプロバガンダを
国内、国外を問わず効果的に利用し
てきた。

そして国外に、つまり韓国に対して
プロバガンダ戦法が発動されたのは
2020年6月31日の事であった。

この日、中国側からの提案で抗日戦
勝利75周年の節目に南京大虐殺、従
軍慰安婦問題をセットにした全世界
に向けての一大キャンペーンを進め
ようという旨の話を韓国政府に申し
入れた。

韓国側からすれば先の核兵器開発発
言で中国の怒り鎮めた矢先の申し出
だった為、多少いぶかしんだが、こ
れを中国との完全和解と都合よく解
釈しこの話に飛び付いた。

しかも当時なだらかな下降線を辿る
一方の韓国に対しドル建てで3000億
ドルの無償提供のボーナス付きとい
う大盤振る舞いぶりだった。
憎き日本を世界から孤立させ、さら
に大金が舞い込むとなれば韓国内の
どんな政治家でも答は同じだろう。

だが中国側からの破格の申し込みの
裏にある本当の目的は韓国を日米韓
の枠組みから完全に引き離し中国共
産党側に引き込む事である。
そればかりか、日本侵攻に向けた第
一歩を画策していた。

昌近平からすれば韓国が核兵器を保
有しようがしまいが差ほど問題視し
ていない。仮に開発したとしても韓
国の経済力、科学技術では到底中国
の脅威になり得ないと思っていた。

それに加えて、韓国大統領は国連事
務総長時代に手懐け済みの朴基文、
米国大統領は東アジア情勢に関心を
持たないトラップである。
この絶好のタイミングを昌近平が逃
す訳が無い。

まず韓国を経済、軍事面で中国に服
従させる。次に釜山などの日本海沿
岸に新設間もない空母機動部隊を展
開させ、日本侵攻陸上部隊の補給基
地にする。
韓国からだと最短距離で日本に向け
て侵攻出来る。世界的に優秀と言わ
れる日本の潜水艦からの驚異はそれ
だけで軽減出来る訳だ。
侵攻艦隊が韓国に移動する際に、日
本のレーダーに捕捉されるだろうが
演習名目で日本侵攻のタイミングを
見極めるまでいつまでも居座り続け るつもりでいた。

あと、一つ中国に憂いがあるとすれ
ば、在韓米軍の存在である。

中国は韓国政府に対し支援の見返り
として在韓米軍の撤退要求と戦時統
帥権を米軍から取り返す事を要求し
てきた。
トラップが大統領じゃなかったらこ
んな滅茶苦茶な要求は出来なかった
ろう。
中国はトラップがアジアの平和安定
に興味が無いと判断して賭けに出た
のである。

「韓国が米軍駐留費を増大させてま
で在韓米軍を引き留めるならば貴国
を真の友好国として見るのは難しい
。立場を明らかにして初めて国際関
系は成り立つのだ」

という旨の声明を出した。

また、こちらの要望が受け入れられ
ない場合報復措置として北朝鮮と何
らかの形で協調する。その際に大型
爆撃機を含む軍用機350機と核ミサ
イルの精度向上に向けた技術も北朝
鮮に提供するかもしれない、と言っ
た半ば恫喝にも近い文言も含まれて
いる。

毎度のように中国から何かにつけて
ダシに使われて気の毒な気もする北
朝鮮なのだが、韓国政府からすれば
お前の国に間接的に侵攻するぞと言
われる様なものでたまった物ではな
い。
さらに、
「もし、貴国が米国から戦時統帥権
を取り戻し在韓米軍を追い出してく
れるのであれば6月の核兵器開発の件
を水に流すばかりか逆に我が中国軍
の保有する核兵器技術を惜しみ無く
貴国に提供しよう」
という非公式の密約を持ちかけてき
た。

つまり「飴と鞭の使い分け」だ。
そして日本という共通の敵に立ち向
かおうといった同族意識を植え付け
時に恫喝をかけながら自国陣営に取
り込む中国古来の常套手段である。

そして、2020年7月16日
ついに韓国は戦時統帥権を米軍から
韓国大統領に移す事と、在韓米軍を
半年後を目処に全廃したいといった
文書を米国大使館を通じて伝えた。

これは韓国が米国に絶縁状をたたき
付ける事を意味する。

在韓米軍による「戦時統帥権」とは
1950に始まった朝鮮戦争まで話がさ
かのぼる。
当時、北朝鮮軍、中国義勇軍と戦う
韓国軍は劣勢になると簡単に武器を
捨てて無断撤退した。遺棄された武
器の中には何百万ドルもする様な高
価な物まで含まれてたので米軍の指
揮官は大いに頭を悩ませた。

また、当時の韓国大統領が米国側に
何の相談も無しに日本に渡り臨時政
府を設立させようとした経緯等を経
て戦時統帥権は米軍へと渡り以来、
70年以上続いた。
例え韓国大統領でも米国の許可無し
では一兵も動かせない。

今や昌近平には何の憂いも無かった
。韓国は中国の属国同然であり、米
国と太平洋を分割する最終目的の為
の障害は第二次大戦後骨抜きにされ
た日本だけだ。
ただ今まで散々日本憎しのプロバガ
ンダを日本人に対しても展開してき
たのだから韓国の様に飴と鞭だけで
はどうにもならないだろう。
また、日本の海上戦力も無視出来な
い。だが近代化された中国の海上戦
力に自信を持っていた。海さえ突破
すれば日本の陸上戦力なぞ赤子の手
をひねるようなものだと思っていた

そして昌近平にとって中国民衆の絶
対的支持を集める為にあくまで武力
によって日本を掌握する必要があった。


6月に発表した韓国の核兵器開発発
言が発表された頃、米国のトラップ
大統領にはまだそれほどの衝撃は無かったと思われる。

これまでの米国であれば国際秩序だ
の環境破壊だのといった単語を並べ
たて政府やCNN などのマスコミが一
斉に韓国政府を非難していただろう
。しかしトラップ大統領は米国が世
界の警察としての役割を放棄して自
国の利益のみ重点に置く政策に舵を
切ると決断した時から、日本や韓国
から核武装論が沸き起こるのは折り
込み済みであった。

しかし日本、韓国の親玉としては何
もしない訳にはいかない。
定例記者会見の場で

「韓国国内で核武装論が起こるのは
誠に遺憾である。しかし、長期的な
東アジアの安定を考えるならばその
様な議論が起こるのも理解出来る」

というような消極的なもので、本来
なら日本のお家芸であるはずの「遺
憾砲」まで発射する始末であった。

ここまで書くとトラップが中国、韓
国の立ち振舞いに全く無感情である
かの様な印象を受けるがそれは正し
くない。
韓国の「核兵器開発は米国への牽制」
中国の入れ知恵であろう「韓国の戦
時統帥権の件」にまで話が及ぶとトラップを始め共和党閣僚達のはらわ
たの中は煮えくり返っていた。

トラップ大統領は経済的内政的に日
本やメキシコを嫌悪していたが、中
国という国に対し生理的に嫌悪して
いた。また、韓国に対しても見切り
をつけた。



2020年8月このあたりから中国の暴
走が始まる。

8月6日中国、韓国海軍は日本海の日
韓接続水域50キロ手前で核弾頭搭載
可能ミサイルを使用した合同演習を
一週間にわたり繰り返す。

中国からすれば戦勝記念日にあたる
8月15日中国韓国合同による南京大
虐殺、従軍慰安婦について日本を非
難する一大ロビー活動が主に国連を
舞台に宣伝される。

日本に対しての挑発行為だけならま
だ良かった。
8月25日、沖縄県那覇軍港に向かう
途中の米海軍強襲揚陸艦「ワスプ」
はオスプレイによる離発着訓練及び
掃海訓練の任務をおびて太平洋の沖
縄東方近海を航行中であった。

17 05 戦闘集中情報室(CIC)のレーダ
ー監視員は3機の国籍不明機が「ワ
スプ」の後方300キロから近づきあ
るのを確認した。

警告を再三促したが、ついに国籍不
明機は「ワスプ」の艦橋にいた乗組
員が視認出来る距離まで接近してきた。
それだけではない。その内の一機は
「ワスプ」に対して対艦ミサイル用
レーザーを照射した。
16 12国籍不明機は「ワスプ」上空ス
レスレを通過後東シナ海方面に姿を
消す。乗組員の多くは翼に赤い星の
マークを目撃したと証言した。

恐らく中国空軍パイロットは「ワスプ」を海上自衛隊の新鋭輸送艦と間
違えた可能性が高い。
そこまで中国空軍の練度は低かった


この事件は当然米海軍省を通じてトラップ大統領の耳にも入った。
トラップは中国政府に対し激しく非
難した。昌近平を名指しで猿山のボ
ス猿呼ばわりし罵詈雑言を浴びせた

昌近平は逆に沈黙を守り「ワスプ」
の件を国民には知らせなかった。
自分の任期期間中に日本侵攻を目指
すのに徒に米国を刺激したくなかっ
たのだ。
因みにレーザー照射を行ったパイロ
ットは翌月銃殺刑に処せられたとい
う。


10月15日、米国国防省の高官10名は
密かにロシアのモスクワ郊外へ飛ん
だ。ある高級ホテルでロシア政府の
要人と会い、ある密約を結ぶ為に。

米国側の要件は次の通りである。

現在、中国政府に対抗中のチベット
、東トルキスタン、内モンゴルに点
在する中国からの独立を求めるゲリ
ラ組織に武器と軍事資金を提供した
い。そこで、ロシアからゲリラ組織
への物資輸送ルートを確保してもら
えないだろうか?

米国はその見返りとして、極東にあ
るサハリン油田の開発に協力する用
意がある。100人から150人規模の
技術者の派遣と開発資金3億ドル提
供だ。

といったものだ。

ロシア政府高官は一度話を持ち帰り
検討すると答えだが、密談終了後僅
か二日後には「快諾する」と返事し
てきた。

トラップ大統領の目論見は単純かつ
効果的な物である。
中国で内乱が拡大すれば昌近平政権
は軍事力、経済力共に弱体化し、今
の国際的地位から引きずり下ろす事
ができる。
さらに国内が無秩序になれば中国内
で独立を目指す物同士が勝手に国境
線を引き戦い合うだろう。

あの威張りくさった東洋人共を三国
志時代に戻してやる、といった陰険
な復讐心がトラップの頭の中を占め
ていたのだ。

中国共産党の横暴も相当なものだが
米国も負けてはいない。
口先では東アジアの安定などと言い
ながら目先の利益と感情論だけでア
ジア諸国を掻き回そうとする所は百
年前と何ら変わらない。

ペリーの黒船来航時の砲艦外交を皮
切りに、太平洋戦争のきっかけとな
ったABCD 包囲網やハルノートしかり、敗戦直後のGHQ の自虐史観洗
脳しかり。
こうして日本近代史を顧みると、我
が国の運命に良くも悪くも影響与え
続けたのは米国であるのは間違いな
いだろう。今回米国が日本にもたら
したのは間違いなく害悪の方だ。

そして米国のこうした一連の行動が
後々中国による日本侵攻作戦の直接
原因に繋がるのである。



2021年は中国共産党国家主席昌近平
にとって悪夢の幕開けとなる。
一月終りあたりから国内での爆弾テ
ロの増加に加えて独立派ゲリラ勢力
と人民解放軍との間で至るところ激
しい戦闘が巻き起こった。
内陸部の都市で戒厳令を敷くのが目
立つ様になる。
二月から三月には上海や北京といっ
た大都市でも混乱にかこつけた学生
等による民主主義運動の暴徒化が顕
著になってきた。

五月に入ると、中国国内に拠点を構
える日本企業は次々と撤退し、約1
億人以上のいわゆる富裕層と呼ばれ
る中国人達は堰を切った様に欧州に
逃げ出した。

このまま推移していけば中国共産党
の力は急激に衰えて、政権がひっく
り返る恐れありと悟った昌近平はこ
こでついにかねてより実行しようと
していた計画を前倒しにする事を決
意する。ここまでばらばらになった
民衆を一つにまとめる唯一の方法
「日本侵攻作戦」である。


昌近平は国内各地に有能な諜報員を
配置させた。

「米国の鎖を断ち切った日本鬼子が
再び軍事力を増大させ我が国に侵略
しようとしている。今は分裂してい
る時ではない、中国国民が一丸とな
って侵略者と戦う時が来た!」

と、いった類いのデマを一斉に流布
し、それはSNS を伝って中国国内の津々浦々にまで拡がっていった。
「共産党がまたいつものプロバガン
ダをやってやがる」と一笑に付す者
もいたが無知で常に怒りを内包して
いた、特に貧しい若者達はすぐに焚
付けられた。
昨日まで「打倒!共産党」と雄叫び
を挙げていたのが「撃滅!日本鬼子」
のスローガンに塗り替えられる。

やがて街に駐車された日本車を発見
するとたちまち四、五人の男達が鉄
パイプやバールといった凶器で徹底
的に破壊し火を放つ、といった光景
が都市部のあちこちで見られるよう
になった。

当然ながら中国国内に在住する日本
人も襲撃の的にされたのは言うまで
もない。
日本語で書かれた看板を掲げた商店
などは真っ先に狙われ、店主とその
家族は撲殺、刺殺といった陰惨な方
法で殺害された。
その遺体は街路樹に吊るされ周りで
処刑を眺めていた女、老人、子供ま
で石ころやゴミを投げつけながら奇
声をあげている。

襲撃に怯えた日本人居住者達は次第
に集団で行動するようになった。
その代表者は中国政府に保護を求め
たが全く取り入って貰えない。
何度も粘り強く交渉した結果、
「飛行機は出せないが大連港からな
ら何隻かの客船は用意出来る。」
ということだった。

北京や上海から大連まで相当な距離 である。中国政府が日本人を助ける
気など無いのは明白だ。

次に日本大使館に訴えたが
「今、中国政府と日本政府に邦人救
出の為の民間機乗り入れの件を申請
しているが難航している。全力で交
渉するからしばらくその場で待機し
てくれ。」
と言った事を諭すような口調で話し
た。受話器の向こうから電話の着信
音と説明に追われる大使館員達の声
が聞こえる。

結局、日本大使館もあてにはならな
いようだった。

このまま時が経過すれば日本人全員
が追い詰められ、なぶり殺しの憂き
目に遭うと判断した代表者達は自力
でバスやトラックを調達し一路、大
連を目指す事を決意する。
日本人居住者達はなけなしの現金や
装飾品、腕時計、着替えの洋服まで
供出し合いトラックや食料、ガソリ
ンと交換した。
大抵は相場以上の金品を要求された
が殺されるよりはましである。
だが中には、報酬は要らないと言っ
て協力する者もいた。
日本人居住者と懇意にしていた者、
日本人に対して同情的に思ってた者
、そういう中国人もいたのである。

しかし、彼らの苦難はこの後の方が
悲惨だった。逃避行の途中で検問に
引っ掛かって略奪、強姦、殺害され
た者、
録な地図も持たず目的地を見失い、
トラックを放棄して徒歩での移動を
余儀なくされた者、
その中には集団飢餓状態に陥いり、
近くの農村に侵入して野菜を盗も
うとする者もいた。生きる為に。
結局、運悪く住民に発見され検問所
に連行されたり殺害された。

昌近平が民衆を煽動して二週間が経
とうとしていた頃、の中国人の心中
には「日本人に対して何をしても罪
にはならない」といった感情が共通
認識化していた。

結局、大連に命からがらたどり着け
たのは一万名を出なかった。中国全
土にいた日本人居住者約十万名の内
一割にも満たない数字である。
こうして、多くの悲劇と惨劇を残し
た日本人居住者排斥運動は日中間に
大きな影を落とした。
そして一部の日本人居住者達が死の
間際まで隠し撮りした動画生配信を
通じてこの出来事は日本人達の逐一
知る所となった。
民族間の憎悪はさらに増幅されていく。