これが本当の本土決戦death

第1章 4




蝶野亜美が大洗女子学園を訪れた三日前に当たる2021年7月22日、中国海軍の北海艦隊、南海艦隊、東海艦隊は日本侵攻に向けて一斉に行動開始した。

まず、北海艦隊は演習という名目で本拠地の青島、旅順基地を出港、一路韓国の釜山海軍基地に向かった。
陸軍総兵力約11万人、戦車、自走砲、兵員輸送車といった戦闘車両、計215両という陣容である。

一方、広州に本拠地を構える南海艦隊は陸軍総兵力約25万人戦闘車両620両。上海に本拠地を構える東海艦隊は陸軍総兵力約16万人、戦闘車両298両。
これら二つの艦隊と150隻の補給船団を含めた大艦隊は南沙諸島に八ヶ所ある人工島基地に向かった。
途中、大艦隊は水平線上に沖縄から撤収する米国輸送船団を確認したがお互い戦闘を交えるような動きは無かったという。
当然ながら釜山へ向かう北海艦隊は海上自衛隊のレーダーに捕捉され、南海
、東海両艦隊も米国海軍によって位置や進路を日本の防衛省に暴露された。
これらの艦隊は各海軍基地で訓練、演習を行いながら恐らく一ヶ月以内に開始されるであろう日本侵攻の時を待つ事になる。
航海中、中国軍の将兵達には日本侵攻作戦についてはまだ知らされていなか
った。しかし、これだけの陸軍大部隊が海を渡るという事象は人民解放軍創設以来初めてである。どこからともなく最終目的地は日本ではないかといった噂が囁かれ始めた。





西住みほは寝床に就いても暗闇の中で覚醒している。

今日は本当に疲れた、精神的に。今まで十六年生きてきた中でこれ程気持ちを揺さぶられたのは初めてだ。明日から夏休みだが突然県外の海水浴に行く事になった。恐らく人生最後の楽しいイベントになるかもしれない。
精一杯楽しまないと…。

そう思えば思うほど気持ちが昂って睡魔はなかなか訪れてはくれなかった。
どうしても姉のまほとの会話が頭を駆け巡るのだ。
西住みほは、暗い天井を見つめながら母親である西住しほについて考える。 
(生徒会会長である角谷杏と西住まほは
自分の身を挺して私を庇ってくれた。
大洗女子学園戦車道の隊長としてはあまり体裁のいい事では無いにしろ、その二人の気持ちが震える程嬉しかった
。そして学校の上級生、または実の姉がそうであるように当然、母親という立場であるならばそれ以上の慈愛を示すのが当たり前だと思っていたが実際は娘を戦場に送ろうとしている。
全ては私の勝手な幻想なのだろうか?
私は母親に愛されていないのではないか?
じゃあそれは私が西住流の落第生だからなのだろう。
私の考え過ぎなのか?
しかし本来西住流を引き継ぐであろう姉までも戦場に送りだすのはどう考えたって間違っている。
母親に直談判しよう。
いや、まだ会話を交わす事すら躊躇している自分がどうして説得出来ようか。
そしてそんな事をしたら逆に姉は激怒するかもしれない。
…そうか。よくよく考えたら母親だって西住流の頂点に立つ立場なのだ。国家存亡の危機であっても娘は戦わせないとなれば面子も立たない。そして周りもそれを許さないだろう。)

西住みほは考える。
中国人に肉親兄弟を殺害された者達は
戦う理由があるのだ。それは「復讐」
に他ならない。それに対して自分はどうか?西住流の娘である以上戦場に行くのは避けられない運命だ。それは理解出来る。だが、自分には敵の命を奪うに足る理由が見当たらない。


彼女は一つの結論に達した。

(いくら悩んでももう答えは出ている。
だったら嘆き悲しむのは無意味だ。
祖国の為とか西住流の為なんかじゃない。私の愛すべきあんこうチーム、必至に私を守ろうとしたお姉ちゃんや角谷会長、私の力がそれらの盾になるんだったら私の命くらいくれてやる!)

これはある種の天啓であった。
この感情が諦念であるのか信念であるかは今のみほには判らないが、この時
自分の生まれた意味、これまで生きてきた理由が形をなして目の前に浮かんできたようなそんな気がした。
「私が死んだら何人の人が泣いてくれるかな?」「やっぱりお母さんは顔色一つ変えずに毅然としてるかも」
そんな事を考えながら、やがてみほは空が白けていく直前にまどろみながら短い眠りに落ちた。


結局三時間も眠れなかった。



あんこうチームが待ち合わせたのは冷泉麻子の家であった。
西住みほが到着すると武部沙織と五十鈴華はすでに到着しており、相変わらす強烈な睡眠欲の麻子に悪戦苦闘している。

「あ、みほさん!御早うございます!」

「おはよー…。麻子さん相変わらずだね…。」

「あ、みぽりん、おはよー!ちょっとみぽりんも手伝って!ほら麻子!」

武部沙織は冷泉麻子の枕を取り上げようとするが眠ったまま枕を掴んで離さないらしい。

「あははは…、でも無理に起こしちゃうのも可哀想な気がするね。」

「みほさん!情けは禁物ですよ!」

五十鈴華は麻子の足の裏をくすぐっている。

布団の周りを取り囲むよう配置された
目覚まし時計はすでにその任務を終えているようだ。
西住みほはやれやれといった表情で、

「麻子さん、麻子さん!早く起きて
!もう出発しちゃうよ!」

と肩を揺さぶってみた。

「んー西住さんか…あと10分…。」

「しょうがないなぁ…。あれ?そう言えば優花里さんおそいね。」

とみほが言ったと同時に車の排気音が近づき家の前で止まった。
玄関まで様子を伺いに行くと、旧日本陸軍九五式小型自動車、通称くろがね四起風に改造を施したフォルクスワーゲンが停車しており、運転席から秋山優花里が降りてきた。

「西住殿、おはようございます!自動車部から車を借りに行ってたんで少し遅れてしまいました。」

「おはよう…っていうか、優花里さん
車の免許持ってたんだ?」

「はい!…でもまあ、ペーパードライバーなんですけどね。あ、でも大丈夫ですよ!学校からここまで来る間に運転の勘を取り戻しましたから!」

「あはは…。でも私、てっきり電車で行くんだと思ってたよ。」

「電車やバスを乗り継いで行くと最低四時間は掛かりますよ。いったん東京まで行くんで。車だと二時間半位で到着します。」

「そうなんだ。」

「あの…西住殿…昨夜はぐっすり眠れましたか?」

秋山優花里は何故そんか事を質問するのだろうとみほは疑問に思った。

「うん。…いや、やっぱりちょっと眠りが浅かったかな。…でもどうして?」

「え、いや…特に意味は無いんですけど…。もし行く途中で眠くなったら遠慮なく寝てて下さい!」

「うん、ありがとう優花里さん!」

「ところで西住殿、もしかして冷泉殿、まだ寝てますか?」

「…うん、沙織さんや華さんがあの手この手を試してるけどなかなか起きなくて。」

秋山優花里は鞄から軍隊式ラッパを取り出し西住みほにちらりと見せた。彼女の目付きがまるで悪戯好きの小学生男子になったのを見てみほは苦笑する





「何も耳元で起床ラッパ鳴らす事ないだろう?まだ耳鳴りが収まらないぞ!


冷泉麻子はまだ憮然としている。

「すみません…冷泉殿。でも前回家の外で吹いたら近所のおばさんからクレームが来たんですよね。」  

秋山優花里は少し申し訳なさ気に答えた。

車は学園艦から連絡船に乗り大洗港上陸後、国道51号線をひたすら南下した
。暫くは海岸線を走り潮の香りが車窓から流れこんでくる。無論、大洗の町でも潮風の香りがするが、こうやって友人達と小旅行する時の潮の香りはどこか違ってくるのだ。梅雨明け夏本番の海沿いの国道はもうそれだけであんこうチームの気分を高揚させるのに充分なロケーションだった。
途中、車は房総半島の関節部分をショートカットする為に海岸線を離れ内陸を走る。

「ねえみんな、お昼なに食べよっか
?」

「最初の計画では私んちでお弁当作って持って行くはずだったからね。」

「じゃあ今日の海水浴が終わったら次はみほさんのうちで食事会をしませんか?」

この時西住みほは自分の不用意な発言を後悔した。

五十鈴華の提案に三人が同意した。西住みほは小さな声で「そうだね」と作り笑顔で答えるに留まった。

明日になれば戦車道部全員に臨時召集が掛かるはずだ。
そして、それ以降ここにいる五人は戦争参加意志の有無に拘わらず夏休みの楽しみとは無縁の生活に突入する。
自分以外の四人が拒否しても自分は参加するのだ。これは自由意思でもあるが西住流の意志でもある。残された四人が自分の存在せぬあんこうチームで笑顔でいられるなんてあり得ないし考えたくもない。明日以降に自分の家で食事会など今のみほには夢物語に近いのだ。多分今頃、角谷杏は戦争参加の話を河嶋桃と小山柚に話しているだろう。もう生徒会、カメさんチームの夏休みは終わっている。そしてやがてはあんこうチームも然り。
 
「何だか浮かない顔だな、西住さん。やっぱり家にお邪魔するのは迷惑かな…。」

冷泉麻子は珍しく他人の顔色を伺う発言をした。
深刻な表情で考えていた西住みほははっと我に返った。運転席の秋山優花里はチラッとバックミラーでみほの様子を伺い、他の三人は心配気にみほの
顔を覗きこむ。

「いや、そんな事ないよ!ちょっと車酔いしただけだよ、でももう大丈夫だから!」

と努めて明るく答えた。

すると、秋山優花里が提案する。

「じゃあ、オーソドックスに海の家でカレーなんてどうですか?ああゆう所で食べるカレーは二割増しで美味しいと思うんですが!」

「そうですね!私は優花里さんの案でいいと思います!」

「そうだな。私もそれでいい。」

「焼きそばも捨てがたいけど…まあいっかあ!」

昼食会議は満場一致でカレーライスに決定した。その後、戦車道を始めた頃から遡っての思い出話から各人の恋愛観にまで話題は尽きる事は無かった。

やがて車はまた海沿いの道を進む。
目的地まであとわずかだ。

運転手の秋山優花里は暫くの間前を走行していた二台の大型バスが左折のウインカーを点滅させたのを見て少しほ
っとした。彼女はずっと海沿いである絶好の景色を見ながら運転したかったのである。
バス二台が左折すると前方に自衛隊の装甲車らしき車両が走行している。
天蓋から精悍な顔付きの二十代前半とおぼしき隊員がこっちをちらりと見た

「あっ!今あの自衛隊の人と眼が合った!もしかして私に気があるのかな!」

後部座席の真ん中に座っていた武部沙織が興奮気味に頬を赤らめる。

「武部殿は良妻賢母タイプですから、ああいった男性にモテるでしょうね!」

秋山優花里はバックミラーを通して沙織を持ち上げた。

「沙織、海で男性に声掛けられても軽はずみに付いて行っちゃだめですよ!」

「もー、わかってるって!」

「しかし自衛隊、やたらと多いな。この近くに演習場でもあるのか?」

あんこうチームが異変に気付いたのはこのあたりからである。
徐々に周りを走行する陸上自衛隊のト
ックが目立ってきた。すれ違った車両の荷台には目深にヘルメットを被った隊員達が表情を変えずに空を見つめている。
そして、まだ正午前にも関わらず対向車線が渋滞していた。そればかりか沿道を歩く人だかりも海水浴場とは反対方向へ歩いているのだ。人々の表情を注意深く観察すると大抵は憤慨していた。

車を海水浴客専用の駐車場に止め、あんこうチームは各々の荷物を持ち砂浜へと歩き出した。
駐車場に海水浴客は結構いる。が、人の流れがどこか不自然である。
明らかに帰り支度をしている者も少なくない。

すれ違いざま、カップルとおぼしき二人組の会話が聴こえた。

「なんだよ!せっかく神奈川から来たってのによ、ふざけんな!」

「しょうがないじゃん…明日出直して湘南に行こう…。」


あんこうチームが砂浜に到着するとそこは陸上自衛隊の工事車両で埋め尽くされていた。五人は一枚の立て看板を
目にする。

「危険物設置により関係者以外の立ち入りを禁止します。 陸上自衛隊第1師団」

改めて海水浴場を眺めてみると、さながら戦争映画のオープンセットのよう
であった。
波打ち際から百メートル奥にかけて対戦車用障害物が沈められて、砂浜は地雷敷設車がゆっくりとした速度で地雷を敷設している。そして、本来であれば海の家が並ぶエリアに鉄条網や土嚢が積み上げられ歩兵用の塹壕が長々と掘られていた。五十メートル間隔で重機関銃の銃口が海を睨んでいる。その奥の林には迫撃砲、対舟艇用誘導弾、といった火器が塹壕の中に据え付けられていて、それらの上部は偽装網で巧みに隠蔽されていた。そんな光景が二キロ近く続いている。

一人の警備員らしき中年の男が、あんこうチームに話し掛けてきた。

「君達、ここは危ないからあんまり近寄っちゃ駄目だよ。」

「あの…私達、茨城から車で来たんですが…今日はビーチには入れないんしょうか?」

五十鈴華はいつもの上品さとは似使わないおどおどした口調で警備員に尋ねる。

警備員はそれは気の毒だといった顔を浮かべ、

「そっかー、ここまで来て返すのも可哀想だと思うけど。決まりは決まりなんでね、勘弁してね。」

「その…大砲とか機関銃とかいっぱい並んでるけど…もしかして…せ、戦争
とか始まるんですか?」

武部沙織は五十鈴華のワンピースの袖を掴みながらおそるおそる質問した。

「うーん。おじさんも詳しくは知らないんだけど、何でも近い内このあたりの海岸に中国軍が上陸…おっと、これ
はまだ言っちゃ駄目だったっけか…。
…まあ、とにかく君達も早くうちに帰ったほうがいいよ…。」

中年の警備員はバツが悪そうに車両出入口に行ってしまった。

武部沙織は両手で口許を抑え、その場にへたりこんだ。それを五十鈴華と冷泉麻子が支えようとする。

「これって、どうゆう事なの!?戦争になんかならないんじゃなかったの!?」

沙織の悲鳴にも似た声が周囲に響いた。

目を伏せたままの西住みほは武部沙織の言葉が自分に対して発せられたように感じた。彼女の方を見る事が出来ない。

やはり、日本と中国政府間の交渉は決裂したのだろうか。いくら一般市民に中国の侵攻を口止めしても、これだけ大っぴらに防御陣地構築をすれば意味が無いように思えるし、戦争は避けられないという証左でもある。
しかし、みほは「これで踏ん切りがついた」と思った。後は昨日の事を告白するか否かである。

「あのー、とにかく車へ戻りましょう
か。ここにいたらまた注意されますよ」

「そうだな。ずっとここにいたら熱中症で倒れるぞ…。」

車へ戻った西住みほ以外の四人はジリジリと照り付ける日射しと蝉の声、微かに聴こえる波の音が急に色褪せていくのを感じた。
秋山優花里は無言でエンジンを掛け元来た方向にハンドルを切ろうとする。

「ごめんなさい!私みんなを騙してた!」

突然、西住みほが大声で謝罪した。
秋山優花里は急ブレーキを掛け全員前のめりになる。

「ちょっと、みぽりん!どうしたの!?急に大きな声で…。」

「もしかして、さっきの警備員が言ってた事と関係あるのか?」

「…うん。」

「みほさん、もしよかったら話して下さいませんか?」

西住みほは昨日の修了式後、角谷杏から呼び出しを受けて蝶野一等陸尉と会い、何が語られたのか?という事、そして明日は戦車道部全員に召集が掛けられその是非を問うという事、明日までは内密だった為、結果的に昨日は皆を騙す形になった事、その回答期限はあと10日余りしか残されて無い事を告げた。そして今見たビーチの情況を踏まえれば最早開戦は避けられない事も含めて。

西住みほは昨日以来、他の四人に対して負い目を感じていたが告白した後は不思議と胸の支えが取れたような気持ちだった。
だが、みほ以外の四人は暫く黙りこんでしまった。無理も無い。いきなり中国が攻めこんで来ると聞かされたばかりか強制でないにしろ、旧式の戦車で現用戦車と戦えというのである。


「もちろん、みぽりんは断ったんだよね!?ていうか、何で私達が…。別に親や兄弟を殺された訳じゃないんだし…。」

肉親を中国人に殺害され、自ら義勇軍に志願した顔も知らない女子高生に対して気が引けるのだろう、武部沙織は始めこそ語気を荒めたがだんだん言葉の勢いが弱くなる。

「それで、みほさん自身はどうなされるおつもりですか?」

五十鈴華の質問に対し西住みほが「まだ考えてる」と口で言うのは簡単であった。しかし、姉のまほと角谷杏の自分に対する気持ちを考えたら到底保留という言葉は口に出来ない。それは卑怯であるばかりか愛する者達への背徳行為になるとみほは考えた。
一瞬躊躇したがこの際率直に自分の気持ちを述べようと決意した。

「私は行くよ…。だって西住流の娘だから。運命には逆らえない。でもね、みんな信じて欲しい。これは私の意志でもあるんだよ!今までいろんな人に助けてもらってる私が自分だけ安全な所で普段の生活を続けるって言うのはちょっと違うような気がするから…。蝶野さんは私の持ってる力を貸して欲しいって言った。…私も自分の力で大好きな人達を救えるんだったらその力を使うべきだと思う。後で後悔したくないから。……怖くないのかって聞かれたらそりゃ怖いけど…もう覚悟は出来てる。でも行くのは私一人で充分だから!みんなは大洗女子学園の戦車道を守って!」

西住みほは今の率直な気持ちを述べたつもりであったが全員を納得させる事は出来なかったようだ。

「西住さんは一時的なヒロイズムに酔ってるだけじゃないのか?昨日の今日で結論を出すのは早すぎだろ!」

冷泉麻子は怒っているように見えた。

みほは麻子の気持ちが嬉しかったが一方でヒロイズムなどでは無いとは反論出来かった。逆説的に言えばヒロイズムにでも酔ってなければこんな決断は出来ない。しかし、それを麻子に告げる気にはなれなかった。

「そうだよ!それにみぽりんにもしもの事があったら…。死ぬかもしれないんだよ!それでもいいの!?」

「麻子さんの言う通り結論を出すのは早いのかも…。でも今の正直な気持ちだよ。沙織さんも心配してくれてありがとう!」

「みほさん、もしかしてみほさんの御母様に強制されたんじゃないのですか?もしそうなら私、抗議します!」

「うん、そうだな。みんなで説得すれば西住さんのお母さんも分かってくれるかも!」

「私も抗議する!みぽりん、私達が付いてるから!心配しなくていいよ!」

皆から矢継ぎ早に掛けられる言葉に西住みほは困ってしまった。まさかこういう情況になるとは思ってもみなかったのである。
しかし、それまで発言を控えていた秋山優花里が話の流れを変えた。

「あのー、ちょっと皆さん。一度に喋っては西住殿が困ってしまうと思うんですが…。」

「そりゃそうだけど…。ゆかりんはみぽりんが心配じゃないの!?」

「いえ、私も本音を言えば西住殿を戦場になんか行かせたくはありません。でも、もう少し西住殿の気持ちになって考えて欲しいんです!」

「私達がみほさんの気持ちを汲んで無いとでもおっしゃりたいのですか?だとしたら聞き捨てなりませんよ、優花里さん!」

「五十鈴殿、そういう事じゃありません!」

秋山優花里は西住みほの様子をちらりと見た後、さらに続ける。

「皆さんは西住殿が安易に決断したと思ってますか?私は違うと思います。たとえたった一日間でも苦しみ抜いた上での決断だったんじゃ無いでしょうか。…それに私達には西住殿の苦しみが分かるはずがないんです。私達は只の戦車道履修者ですから。西住流の名を背負った人にしかその苦しみは判らない。だから誰も西住殿を説得出来ないし意見もするべきではないんです!…恐らく昨日は相当悩まれたと思うんですよ。それを何事も無かったかの様に振る舞うのは私達の想像を絶します。なのに西住殿は一人で行くと言いました。私達を危険な場所に行かせない為に。
自分の命を差し出す覚悟が無ければこんな事言えるはずが無いんです。もし私が西住殿の立場だったら西住流の面子とか周りからの圧力だけで命のやり取りを行うのはとても堪えられないでしょう。守りたいと思う人達の為だったらたった一つの命を差し出すのもやぶさかでは無いと無理矢理自分自身を納得させると思います!
…多分、西住殿も…。
だから今は西住殿の気持ちを尊重したいんですよ!」

「ゆかりさんの言いたい事も判ります!でも、みほさんの人生はみほさんだけの物のはずです。みほさんはそこまでして西住流に拘る必要があるのですか?無礼を承知で言いますが、もうみほさんは流派を勘当されてる身だと思ってましたが…」

「華さん、私はもう西住流とかそういう肩書きに拘りは無いよ。ただ大好きな人達を守りたいだけ。…大洗に来る前の私には何も無かった。このまま親友と呼べる人もいなくてこのまま平凡に卒業して平凡に就職して多分経済力で妥協した男の人と結婚して浮き沈み
の無い平凡な人生を歩んだ後、後悔しながら死んで行くんだろうなって漠然と思ってた。でも違った。こんなに大好きになれる親友達が出来たんだよ?
そして今までとは全く違った戦車道にも出逢えた。結局、私の人生は戦車道にあるって気付いたんだよ、みんなのお陰で。…だから頑張れる。命を掛けれる。これって最高に幸せな事だと
私は思うけどな!」

「でも、みぽりんがもし死んでしまったら私は悲しいよ!?そんな理由でみぽりんが死ぬような事があったら結局私達が不幸になるだけじゃない!」

「西住さん、本気でそう思うの?
じゃあ…そこまで言われたら反論出来ないじゃないか。西住さんはずるい!一人だけで達観してる。…」

五十鈴華、武部沙織、冷泉麻子は怒りのぶつけようの無い空しさを噛み締めていた。三人共、油断すると号泣しそうな崖っぷちをギリギリ踏みとどまっている。

「その時は私を恨んでもいいよ。でも大丈夫!私は絶対生きて帰るから!」

西住みほの目尻にも少しだけ涙が溜まった。

「皆さん、これ以上西住殿を困らせるのは止めにしましょう?私達の言葉で
決心を鈍らせるのは却って西住殿を苦しませる事になるんですから…。
…それに今私達が考えなければならないのは西住殿を説得する事でも西住殿のお母さんに直談判する事でもありません。私達自身がこれからどうするかって事だと思います。何だか私、偉そうな事言っちゃいましたね。すみません!」

秋山優花里は皆に深々と頭を下げた。
ふと、西住みほに視線を移すとみほは大粒の涙を浮かべている。優花里はそんな表情のみほを初めて見た。


西住みほは秋山優花里が自分の気持ちを的確に理解してくれていたのが心底嬉しかったのだ。自分を泣かせたと勘違いしペコペコと頭を下げる優花里にみほは

「ありがとう!優花里さん!こんなに嬉しいのは生まれて初めて!」

と笑顔で答えた。

この時、他の三人は秋山優花里程の洞察力が無かった訳ではない。人間は戦場と自らを結び付けた時、当然の事ながら生存欲求を満たそうとする生き物なのだ。車長である西住みほが戦場に出なければ部下に相当する自分達が戦場に行く意味も失われるといった感情が彼女達の無意識下に働いても何ら不思議ではない。
だが彼女達は秋山優花里の言葉によって自分の浅ましさを羞恥した。と同時に西住みほの自分達に対する献身的言動を知って三人は胸を突かれた。

「私、何も考えずに…優花里さんとみほさんを傷付ける様な事言いましたね…。ごめんなさい!」

「ううん、いいの華さん!」

「五十鈴殿!私も気にしてませんよ!」

「ごめんね!みぽりん!私達親友なのに酷い事言っちゃった!」

「もう泣かないで沙織さん!私、ちゃんと分かってるから!」

「ごめん西住さん、私も浅はかな事とか失礼な事言ってしまった…。私を殴ってくれ!」

「そんな事しないよ、麻子さんが本気で怒った時、私嬉しかったよ。」

皆も一様に涙を浮かべながら手を取り合った。西住みほの辛い立場や自己犠牲精神を思うと自然と涙腺が緩んでしまったのだ。そして自分達の軽はずみな言葉がみほの心中を掻き乱した事に対して心から反省した。
が、この様な感動の共有が起こり得たのは車内という狭い空間で繰り広げられた為に起こる集団心理現象も手伝っていたとも考えられる。その後のコンビニでの昼食、又は帰り道の道中、険悪な雰囲気にならなかったのは秋山優花里による西住みほの内なる感情の代弁の賜物であるが、あんこうチーム各人が帰宅し自室で一人になった時、秋山優花里の台詞の後半部分「私達自身がこれからどうするか」という言葉が彼女達に重くのし掛かるのである。

この日の晩、テレビ報道では米軍の日本撤退に関する報道がトップニュース扱いになった。キャスターやコメンテ
ーター達は憲法9条の理念が叶った記念すべき出来事だと絶賛し、東アジアの
平和は恒久的に約束された旨のコメントをした。大多数の日本人はその報道に何の疑問も抱かず、そして三日も経たぬ内に忘れていった。