これが本当の本土決戦death

第1章7


壇上に上がった蝶野亜美は会議室に集まった各高校の代表に向かい深々と頭を下げた。

「みんな、私の呼び掛けにこれだけ大勢集まってくれて本当に有難う!近々迫り来る中国軍に対抗して、旧式の戦車で挑むというのは決して容易い事じゃない。もし、今でも恐怖感を抱いている者がいたら遠慮無く辞退しても構わないわよ。それでも尚、私に付いてくる意志がある者は一緒に戦いましょう!」

蝶野亜美によるこの後の説明によると
主に関東出身の高校はそのまま関東地区の防衛を担当する。その主な任務は
東部方面隊第1師団の戦車大隊、特科大隊の援護及び上陸した敵機甲部隊に対する奇襲、偵察、後方攪乱と多岐に及ぶ。しかし基本的には遊撃部隊として個別に行動し敵の動向が確実なる場合は蝶野亜美を長とする司令部が直接指示を出す。本来であれば第一戦車大隊の戦闘序列として組み込まれ行動するのが合理的と素人目にも映るがそれが叶わない。
とにかく時間が無かった。
そして自衛隊との協同は技術的に無理があり却って自衛隊の戦力を削ぐ事にも繋がる。つまり、嫌な言い方をすると折角集まって貰ったが自分達で何とかやってくれ、補給に関しては面倒を見てやるといった事に等しかった。
それでも各高校の代表者達から苦情が出なかったのは大方予想がついていたという理由もあるが、やはり「自由に動ける」といった事が大きい。
誰の指示に従う事も無く自分達のやってきた戦車道の全てを思う存分敵にぶつけて、もしやられたとしても自分達の技量が無かったと諦めもつく。
「これは祖国防衛戦争だが同時に自分達の戦車道における意地とプライドを懸けた最後の花道にするのだ」
と多くの志願した代表者達は自らの心に説き伏せていた。

最後に蝶野亜美は本心めいた言葉を口にする。

「皆の中で今回、米軍が参戦しない事に不満を持つ者もいるでしょう。でもね、私はそれで良かったとも思うの。自分の国の国土を守るのは本来その国の国民であるべきだと私は思う。私達が血を流さず他国の手で外敵の侵略を阻止するのは真の独立国家とは言えないわ!いくらこの先に塗炭の苦しみが待っていようとも、あくまで日本人が戦い勝利した時こそ日本という国は本来の姿を取り戻すのよ!あなた達の後ろには大勢の守るべき人とこれからも脈々と受け継がれる歴史があるの!
これからは信念を貫く為に心を強くしなさい。飼い慣らされた羊から狼に変貌するの!もし、目の前で敵が赦しを乞うのを見ても容赦なく引き金を引きなさい!親兄弟の為に敵を殺しなさい!愛すべき全ての人の為に敵を殺しなさい!」

志願者達を鼓舞する蝶野亜美の目付き
はかつての優しい戦車道指導者とは程遠く殺気に充ちたものだった。
それはまさしく職業軍人の眼そのもの
である。が、それを聴く志願者達は不快感を感じる事も無く寧ろ天声を拝聴する聖職者の様な心の内にあった。



ここで少し蝶野亜美という人物について語ろうと思う。大洗女子学園戦車道部発足時以来、西住みほを含め全部員とは少なからず縁のある人物である。そして、大洗女子学園の練習試合を観戦した時以来、彼女は西住みほに対して将来の戦車道発展に大きな可能性を見出だした。ある意味に於いては戦車道という武芸を一番愛していたのは彼女かもしれない。そして祖国存亡の秋にあたり高校戦車道を実戦で活用する事を発案したのも、その指揮を志願したのも彼女であるのだからこそ、その詳細を省く事は出来ない。

蝶野亜美は一昨年の2019年に陸上自衛隊幹部候補生学校を首席で卒業した秀才である。入学時、女子幹部候補の倍率80倍の難関を一位で合格した点を見てもその優秀さが伺える。
一年間の学校生活で彼女は友人らしい友人を一人も作らなかった。そして一心不乱に勉学に励み他の学生の追随を一切振り切る結果となる最終試験に於いて総合点の最高値を叩き出した。
だが、ある戦史の授業時、周りの学生達から奇異の眼で関心を持たれた事がある。
教官から「これから未来における日米軍事同盟」について質問された折、学生達が答えを渋る中、蝶野亜美一人だけが挙手した。

「私は将来的に破棄が望ましいと思います。それが日本国の為であると信じます。」

彼女は明瞭に答えた。

教官は懸命に同盟の重要性について説いたが彼女の弁論は的を得ている。教官は納得せざるを得ない状況に追い込まれた。
前述した人物像を客観的に見れば、当時の蝶野亜美と言う人物は全ての教科で優秀だったかも知れないが協調性では落第生であったのかも知れない。
その人格形成を作る要因を知るには彼女の小学生時代まで遡る必要がある。

蝶野亜美の父親は高校卒業して現在に至るまで現役自衛官だ。その性格は実直で誰にでも優しくそして力強い。テレビで南米の貧しい子供の映像を観るとつい涙を流す、そんな父親である。
少女時代の亜美はそんな父親が大好きだった。一見すればどこにでもいる普通の少女と何ら変わらない。
しかし、彼女が小学六年生時、社会の授業中に彼女自身のアイデンティティを確立するきっかけとなったある出来事が起こる。

その日の授業は旧日本軍による中国、東南アジア侵略という題目だった。

「戦争中、日本軍は中国大陸、朝鮮半島、東南アジアで残虐な事ばかりをしていました。私達日本人はこれらの人
々から信用を得る為100年後も謝り続ける必要があります。そして我が国には憲法第9条という素晴らしい法律が
あり、これを守り続ける事こそが大事なのです。ではみんなに問題です。憲法第9条は何を禁止してるか解る人は居ますか?」

女教師の質問にほぼ全員が挙手した。

「戦争の放棄です。」

指された児童は誇らしげに答える。
しかし、その児童の中で納得出来ない者がいた。

「でも先生、戦争放棄なのに何故自衛隊がいるんですか?」

廻りの児童達が同調し始める。
女教師は急に悲しげな表情を浮かべた
。それは当時11才の亜美から見ても、どこか演技めいた白々しさがあった。

「これはあくまで先生個人の意見だけど自衛隊は憲法に違反しています。本当ならあなた達にこんな事言いたくはないけど。…この国の一番偉い政治家の人達がまた戦争を起こしたくてウズウズしているの。昔、アジアで一番強かった時代に戻りたいって考えているのね。その為に毎年国防費という名のお金がみんなの親が払う税金から取られている。
人殺しの為のお金を払っている事に対してみんなはどう思う?」

児童達は無秩序に発言し始めた。自衛隊の存在意義について大勢の反対派と少数の賛成派に別れる。

「じゃあ、この続きは来週またやるのでみんなは考えをまとめておくようにね。」

授業が終わり休み時間になると教室内がいつもの喧騒に包まれた。
この時蝶野亜美の心境は悲しみの一言であったに違いない。
普段は優しい先生なのに、この日の授業を境にまるで彼女が別人のように感じられた。そして、大好きな父親を侮辱されたような気がした。
自衛隊は困っている人達を助ける為に海外まで出掛けるんだと父親から教わ
っていたのに、女教師は人殺しだと罵る。亜美は真実をこの眼で確めたい衝動に駈られた。そして放課後や次の土日を利用して町の図書館に通いつめ真実を探る事を思い付いつく。その日から下校時間、友人達からの誘いを断り亜美の図書館通いが始まった。
元来、彼女は物心ついた頃から頭脳明晰である。歴史教育での矛盾点を暴くのに然程時間は掛からなかった。

まず最初に取り組んだのは歴史教科書の疑問点である。ただ黙って授業を受けている時は気付かないが近代日本歴史の部分を注意深く読んでみると意図的にぼかした表現がある。特に日本が
戦争に突入した経緯が顕著だ。まるで
資源強奪や植民地欲しさに突如日本が
近隣国に戦争を仕掛けたとしか読み取れないのである。いくら軍部が台頭した時代とはいえ日本国民の意見を無視して軍が勝手に他国を侵略なぞ出来るのか?ましてや当時多くの日本人でも知っていたであろう超大国アメリカに
1941年末から戦いを挑んでいる。それも中国と戦争している最中にである。民意の承諾無しでそれをなし得るのは到底考えられない。それとも80年前の日本人はそこまで馬鹿だったのだろうか?
小学生時代の亜美の思考から見ても、たかだか80年で国民性が180度変わるのは極めて不自然としか思えない。
当時の日本国民にとって承服出来ない事象が中国やアメリカで起こり、結果として軍部の増長に繋がったと見るのが普通である。 

彼女は様々な文献を読み漁っている内
、教科書には載っていない単語が存在
するのを知った。

「尼港事件」「通州事件」「ABCD包囲網 」「ハルノート」「ウォーギルドインフォメーションプログラム」「戦後コミンテルンの暗躍」

等々。

これらの単語と単語を線で結んでいくと自ずから答えは見えてきた。

日本と中国が1937年に衝突する以前から中国人から日本人に対する残虐行為
があった。正当な権利で中国に居留す
る日本人に大中華思想から湧く敵対心、差別感情があったのだろう。
これに日本人が怒り、新聞やラジオが
国民感情を更に煽る。
その後に勃発する中国との戦争は日中どっちが仕掛けたのか現在でも不明とされているが日本と中国国民党を戦わせたい中国共産党が引き金になっているのは確かなようだ。
アメリカとの戦争に於いても日本を中国から駆逐して利権を拡大しようとした欧米に一杯食わされた日本の姿が見えてくる。そして戦後の日本人に対する戦争贖罪意識の植え付けも含めて。

「先生はクラスメートに嘘を教えている、いや先生自身もこの事実を知らないのではないか?だとしたら私が先生
に教えてあげなきゃ」

自ら暴いた真実を知った後、最初に蝶野亜美が抱いた感情であった。

次の日、昼休みに職員室を訪ね例の話を女教師に告発した。
亜美はその時の女教師の自分を見る眼がまるで汚物でも見るような険しいものになっていくのを見た。

「蝶野さん。あなたこんなデタラメな事どこで調べたの?」

「はい、町の図書館に行って自分で調べました…でもデタラメなんかじゃないんです!昔の資料の写しも載ってたし…。」

「あなた、さっき先生の指導が間違ってるって言ったわよね。じゃあどこがどう間違っているのか今ここで説明なさい!」

亜美は順序立てて丁寧に判りやすく説明した。女教師の顔が怒りの為なのだろう徐々に紅潮していくのが分かる。
亜美の説明を聞き終えない内に突然立ち上がり冷徹な眼で彼女を見下ろしながら言った。

「蝶野さん!あなたね、そんなに戦争がしたいなら今から一人で中東の紛争地帯にでも行きなさい!私のクラスにはあなたの様な軍国主義者は要らないの!そういえば…確か…あなたの父親って自衛隊員だったわよね?流石は人殺しの子…。血は争えないわ。」

「そんなんじゃありません!…て言うか、私のお父さんと何の関係が…」

確かにわざわざ図書館まで出向き疑問点を調べた事は間接的に父親を侮辱された事と関係無い訳では無かった。だが真実を知りたいという亜美特有の探究心から出た行動は決して嘘偽りの無い本音でもあったのだ。
その後、彼女は「殺人者の娘」と謂れの無いレッテルを女教師によって貼られクラスメートからの同情と侮蔑の眼差しを卒業するまで受ける事になる。
卒業式の日、女教師は当然ながら蝶野亜美の存在を殊更に無視した。

「先生はニッキョウソなんですね。軽蔑します。」

卒業日の最期に亜美は女教師に言った。それが彼女に出来うる、せめてもの復讐であったのかもしれない。

そして中学高校と成長した蝶野亜美は
自身の思想を人に悟られないよう注意を払い続けた。勿論、父親が自衛隊員
だと知られる事は絶対的禁忌である。
それは亜美が戦車道に情熱を傾けている高校時代も変わらなかった。
当時、憧れの眼差しで見ていた西住流師範の西住しほにさえ本音を打ち明けてはいない。
高校時代のとある日、数人のクラスメート達と街を歩いていた時の事である。
信号待ちしていると目の前を自衛隊の装甲車や大砲を牽引したトラックが通りすぎた。クラスメートの一人は

「何か恐くない!?なんであんなのが街中通るのよ?」

その台詞を聞いた亜美はショックだったがそれを知らず知らずの内「顔に出してはいまいか?」と思ってしまう自分が嫌で堪らなかった。その場を愛想笑いでやり過ごす術を遺憾ながらも青春期に身に付けてしまう。
就職を考える時期を迎えた頃、亜美は自然と自衛隊員への道を考えるように
なった。ある意味に於いて小学生時代に背負ったトラウマを引き摺っていたのは否めないだろう。 

結局、蝶野亜美という人物が如何にして自衛隊員としての人生を歩む事とな
ったのかは単に父親に憧れを持ったとか意思を引き継ぎたいといった単純な動機を伴っていないと思われる。
強いて言うなら「現実逃避」と「無理解な一般社会への報復」の中間といっ
た所が適当ではないだろうか。
そして、その心理は「若者の愛国心」
、更には「米国に頼らない日本の自主独立」へと徐々に昇華していく。
幹部候補生学校を卒業して任官した半年後、亜美は自ら高校戦車道の教官への志願を何度も申し出て、ようやく三ヶ月後に受理された。戦車道を通じて国に報いる精神を教えたいと何度も力説してくる彼女の情熱に上官が折れたのだ。
その後、戦車道教官就任の挨拶の折りに、高校を卒業して二年振りの再会を果たした西住しほに思いきって自らの思想を打ち明ける。かつての恩師は賛同するばかりか実は自分と同じ考えを前々から思っていた事実を知った。
蝶野亜美にとってその瞬間ほど歓喜した事は無かったかもしれない。西住しほとの再会を契機に彼女は明るい性格
へと変わった。戦争の可能性など微塵も感じなかった一年前まで戦車道の教官という仕事は亜美にとって天職であるとすら思っていた。

そして現在に至る訳だが亜美自身、東アジアの状況が切迫するにつれ教え子達を戦場に送り出す事に対し自問自答している。戦車道部隊の創設者であり部隊長であるならとうの昔にその考えを捨て去るべきだと思っていた。
だが志願者一同を目の前にして訓示を述べる際、まだ幼さの残る顔つきをした生徒を見た時「殺人者の娘」と言われた小学生時代の忌まわしい悪夢が頭をよぎった。自分の命令一つで目の前にいる生徒達は死んでしまうかもしれない。間接的な殺人に手を染める感覚は「殺人者である自衛隊員の娘も所詮は殺人者だ」といった妄想を亜美の心中に影を落とす。

「叶う事なら五年前に中国侵攻が起こればよかったのに。そして自分が最前線で一介の戦車長として戦いたかった。そうすればこんな悩みは存在しなかったのに」

亜美はふと、そんな事を空想した。
しかし当時の自衛隊には戦車道部隊創設を唱える者は居なかった筈である。そこに蝶野亜美にとっての最大のジレンマがあった。
しかし、躊躇を顔に出せば部下はそれを察知し動揺を与える事になるばかりか士気の低下にも繋がるのだ。
志願者達の純粋な気持ちを蔑ろにしない為にも亜美自身、職業軍人の仮面を
被りあくまで強い指揮官を演じていかなければならなかったのである。

話を会議室に戻そう。

蝶野亜美の訓示の後の作戦会議に於いて、まず部隊編制について話合われる。関東地区を防備する全ての学校の部隊長は西住みほに決定された。その主力部隊はサンダース大附属高校と大洗女子学園を基幹とした第一中隊、知波単学園を基幹とした第二中隊である
。因みに第二中隊にはアンツィオ高校を戦闘序列に組み込む予定であったが
まだこの時点では戦争参加の意志をはっきりと表明していない。この会議が終わり次第蝶野亜美はアンツィオ高校の本拠地である静岡県清水港に向かう予定である。

次に作戦要項での決定事項だが、まず第一師団が敵の進撃予想を割り出し蝶野一尉と西住みほの緊密な連絡を通じて各高校に通達される。防衛に適した地区を選定し、敵が来る前に防御体制を敷き遊撃戦を展開するのだが実情は気の合う高校同士がお互いに連携しようといった口約束の域を出ない。しかし、そんな協定も実戦の前では脆く崩れ去るだろうと誰もが心中で思っていた。蝶野亜美にとっては部隊編制と訓練の時間があまりに不足していて何の手立ても打てないまま実戦に突入する事が歯痒かったであろう。
しかし何の準備も出来ていないからと言って何もしないといった選択肢は彼女の考えにはない。今は西住みほの卓越した戦術眼だけが頼りといっても差し支え無かった。

次に各高校には携帯兵器の使用法訓練が課せられる。主に自動小銃、短機関銃、拳銃の射撃訓練、手榴弾投擲訓練等である。他に銃剣による簡単な徒手格闘術も学んだ。
一通り訓練を終えると各代表者は自校の志願者達にそれを伝授する。その際に各人に対し配られた「歩兵操典」なる小冊子が役に立つ筈であった。
知波単学園の者達は難なくこの訓練を
こなしたが他の代表者は悪戦苦闘している。

「こんなのたった一日でマスター出来るのかよ?それに実戦で役に立つとは思えないんだけどさー。」

西住みほと銃剣格闘戦術の訓練をたどたどしい動作でこなす角谷杏は思わず毒づいた。

「どうなんでしょう…でも実戦では戦車を放棄する場合もあるから、身に付けといて損は無いと思います。」

実の所、みほも疑念を持ちつつ訓練に励む。
その時、知波単学園の西絹代が随伴する二名を伴って近付いて来た。

「西住さん、ちょっとウチの福田と格闘訓練の相手をしてもらってもいいですか?」

突然の申し出にみほは面食らったが特に断る理由も見当たらずそれを承諾した。

「じゃあ、福田が仰向けに寝ますんで西住さんはその上に載っかって銃剣を構えてください。」

「え?でも…大丈夫ですか!?結構体重差あるけど…。」

みほは躊躇したが福田は黙ってその場に身体を横たえた。

「わ、分かりました…。」

みほは福田の上に馬乗りになり銃剣を構える。ふと周りを見渡すと角谷杏を
含めた大勢の観衆が集まっていた。

「では、始め!」

何が起こったのかみほには全く判らなかった。気が付くと福田が逆に馬乗り状態になったと思ったら素早く刃渡り三十センチもある銃剣を抜き、自分の喉元に突き付けられてしまった。

「す、すまなくであります!西住隊長殿…。」

福田は銃剣を鞘に収め、みほの手を取り引き起こした。周りから拍手が起こる。


「凄いです!…私、一瞬の事で何も出来なかった…。」

西絹代は部下の技量を誇るような事は一切言わず険しい表情でその場に集まった観衆に言った。その口調は寧ろ戒めに近いものである。

「みなさんは戦車道履修者であるからまず戦車戦の腕を磨くのを第一に考えるでしょう。しかし鋼鉄の皮膚を失えば我々は力の弱い女です、しかも若くて健康な。もし敵の目前で戦車も銃も無い状態で対峙すれば…敵は、いえ中国人は必ず強姦します。これは国民性も去ることながら人民解放軍の上層部
も下級兵士に奨励しているんです。
彼等のいう所の「民族浄化」ですね。
みなさんも穢らわしい中国兵から辱しめなぞ受けたくはない筈ですよね。その為に是非ともある程度は銃剣格闘術を習得して欲しいと思います。西住さん、私達の無礼をお許し下さい!」

古風な日本女性を思わせるような西絹代が「辱しめ」といった曖昧な単語を使用せずに敢えて「強姦」と言った事はその場に居た志願者達に対しある程度のインパクトを与えた。
一般の女子高生ならば性に開放的な者も一部存在するが戦車道を選択する生徒はだいたいに於いて貞淑な女性に憧れているのだ。だが、大洗戦車道部員は学校を廃校から救う為に発足した経緯があり貞淑や女性の美徳といった価値観からやや離れている傾向がある。西絹代の発言は戦闘による命の危険の他にも「精神的殺人」といった女性なら絶対死守するものもあるのだという意識や心構えを植え付ける事が狙いであったと言えよう。

その一部始終を見ていた角谷杏は銃剣格闘術を軽んじた発言を恥じると同時に西絹代の戒訓に深い感銘を受けた。

「西さん、ありがとう!色々と為になったよ。それと、さっきは失礼な事言っちゃってゴメンな。」

角谷杏は知波単学園の校風を茶化した事に対し詫びた。西絹代は何を詫びてるのか判らず一瞬キョトンとしたが屈託の無い笑顔でそれに答えた。
角谷杏が西絹代に対し「ちゃん」付けではなく「さん」付けで名前を呼んだ
所に西絹代に対して尊敬の念を抱いているのが伺われる。



「じゃあ、今度会うとすれは戦場になるわね!アンジーもミホもキヌヨもそれまでお元気で!」

「ああ、わかった。ケイちゃん達も達者でな!」

「皆さん、今日また逢えて嬉しかったです!お互いに頑張りましょう!」

「…私達はまた皆さんと再会出来るかどうかは判りませんが各々死力を尽くして敢闘しましょうね!」

「何だよ、西さん!再会出来るか判らないって?また銃剣格闘、教えてくれよなー!」

「…そうですね!皆さんとまたの再会を約束します!」


次の日の朝、各高校の代表者は一路母校への帰路に付いた。
西住みほは一昨日の姉やケイ、西絹代達との再会を反芻しながら遠い眼で車窓の風景を眺めていた。
彼女にとって今を生きる一日一日に輝きがあって僅か昨日の事まで何故かしら懐かしく感じるのだった。

「おい、西住隊長、随分と感傷に浸ってんな。もっとしゃきっとしなきゃだよ?」

角谷杏はみほに干し芋を差し出す。

「いえ、そんなんじゃないですよ。ただ最近、一日一日が長くいとおしく感じちゃって…。」

「それを感傷的っていうんだよ。バカだなあ、西住ちゃんは。」


「あはは…そうですよね、すみませんでした。角谷会長、木造校舎に帰ったら早速特訓しましょう。」

照れ隠ししながら西住みほは角谷杏から貰った干し芋を口に放り込んだ。


「西住ちゃん、私昨日さ、この国の国民なんて守る価値が無いんじゃないか
って言ったろ?あれ、撤回するよ。」

「そうですか。」

みほは流れる風景を眺めながら笑顔で答えた。彼女は角谷杏の心境の変化について質問したかったが止めておいた
。それを聞くのは野暮だと思ったし、何となくその気持ちが解ったからである。しかし、角谷杏はその心境の変化について自ら語り出した。

「結局は西住ちゃんの言ってた通りだ
ったんだよな。私ってさあ、世の中を斜に構えて観る癖があるんだよ。だから世間の汚い所ばかりに目が行ってしまう。ちょっと視点を変えれば本心から守りたいって思える風景がたくさんあるのにね。」

杏は二列前にいた二十代後半であろうか、赤子をあやす母親の姿を見つめている。

「それにさあ、馬鹿は死んでも構わないなんて言ったら知波単学園の子達に
怒られちゃうよ…。」

「あはは、西さん達に限って。」

「だよな…所でさ、西住ちゃんは別れの挨拶した時の西さん達の目を見て何か感じなかったか?」

西住みほは角谷杏がどんな答えを予想しているか判らなかったが、思った事を正直に言ってみた。だがそれは自分の口から言うにはあまり気持ちのいい返事では無い。

「多分ですけど…生きて帰るつもりはないと思います。」

みほは目を逸らさずに真っ直ぐ杏の目を見据えて言った。

「私達にその覚悟が出来るかな?…」

「判りませんが…その覚悟だけは持っていたい。」

今度は角谷杏が車窓に目を逸らした。


西住みほと角谷杏が乗車した起動車は
間も無く大洗駅に到着する。車窓からは見慣れた美しい風景が出迎えてくれる筈だった。

その時



2021年8月3日 午後2時33分



突如、大音響と共に起動車が急停車した。中にいた乗客は前の座席に強打し或いは車内の通路を物凄い勢いで転が
っていく。西住みほと角谷杏も頭部を強打したが意識はあった。不思議な事に痛みを感じない。

社内アナウンスの声はいつもの鼻に掛けた特有のものではなく緊迫感のある
声、いや、絶叫に近かった。

「乗客の皆さん!ただいまミサイルと思われる飛翔体が前方の線路を破壊しました!本車両に留まるのは大変危険
です!速やかに脱出して下さい!」


この瞬間、大洗の町は戦場と化した。


            第一章 完