これが本当の本土決戦death

第2章1


第二章 上陸


大洗空襲の前日にあたる八月二日、中国海軍の空母「遼寧」は駆逐艦三隻を護衛に従え小笠原諸島南西500海里を航行していた。
その目的は三日の正午までに八丈島東方13海里まで接近する事にある。
そこから艦上機15機を放ち、九十九里
及び大洗の防御陣地を破砕するのだ。
近く実行される日本本土上陸作戦をスムーズに進める為の準備作戦である。

日本本土へ向けた近代装備による初の
攻撃作戦には中国海軍選り抜きのパイロット30名が選抜された。

その二時間後、「遼寧」を発艦した15機の攻撃機は学園艦や防御陣地は勿論の事、民家や逃げ惑う民間人に対して容赦の無い攻撃を加えた。
これを「艦長命令を忠実に従った」、と言えば聞こえはいいが実際の所は殺戮ゲームを楽しんだに過ぎない。
無事任務を果たしたパイロット達は帰国後、昌近平国家主席と握手を交わしながらカメラの砲列の前に立ち誇らしげに笑みを浮かべた。
その会見の直後、メディアからのオフ
ァーが殺到する。
これら国家の英雄をテレビ局や出版社が放って置く訳も無い。金になるからである。あるパイロットの一人は自らの生い立ちから今回の決死行に至るまでを一冊の本にまとめ、その作品はその年一番のベストセラーとなった。他にも車のCM に登場したり写真集になった者さえいた。
端正な顔立ちをした隊長である35歳の空軍大尉に至っては本人主演の映画が製作されるまでになった。
軍人らしからぬ様々な活動に精を出していた彼等にはたった一つだけ共通する事柄がある。それは「全く良心の呵責を感じない」という点であった。
彼等は華やかな生活を送りながらよく食べ、よく眠り、常に笑顔を絶やす事はなかった。大洗を爆撃中、操縦席から多くの女子供が死んでいくのを目の当たりにしてるはずなのにである。
彼等若いパイロット達に限らず、中国国民の大多数にとって日本人は遥か昔より「世界の中心である大中華」から海を隔てた小さい島国に住む劣等民族であり「抗日戦争」で何百万もの無辜の民を殺された怨みから、(勿論これは中国共産党が一方的に広めたプロバガンダである)いずれは殲滅すべき民族なのだと考えた。
そういった思想を物心ついた頃から学校教育で植え付けられていたのである。日本人から見れば甚だ遺憾とする所であるが、これを偏向教育の犠牲者と見るか古来から受け継いだ残忍な国民性と見るかは筆者の預かり知る所ではない。今、この文章を読んでいる読者に委ねたいと思う。



西住みほと角谷杏を載せた起動車はしんと鎮まりかえっている。
みほは目を覚ました。
一瞬、どうして自分はここに居るのだろう?という感覚が彼女を捉えたがそれはすぐに解消され、現実に引き戻された。長い時間気を失っていた様に思われたが五分と経過していないらしい

起動車が走行中、前方の線路にミサイル若しくは爆弾が着弾し車両は急ブレ
ーキを掛けた。次に車掌からの乗客に対する避難誘導のアナウンスがあった所までは思いだす事が出来るが、そこから先は頭の中に霧が立ち込めた様にぼんやりしている。

ふと窓を見た。
火柱が爆音と共に立ち上ぼり、その間を縫うように胴体に赤い星を付けた軍用機が高速で通り過ぎていくのが見える。不思議と怒りは湧いて来ない。まだみほの精神状態は衝撃による一時的ショックで無感動状態を脱してはいなかった。
再び視線を車内に戻すと、薄暗い車両の奥の方に何やら黒く大きな塊があるのを確認した。
それが何かを確かめるべく、ゆっくりと立ち上がりよろよろと近付いた。今から恐ろしい光景があるのを薄々感じながらも足を止めることが出来ない。そして、この時みほの眼に映った光景は彼女が生きてきた十六年の中で初めて目撃したあまりにも衝撃的映像となる。
死体の山だ。魂を無くした肉体が幾重にも折り重なっていた。
「絶句」という単語が決して誇張ではなく実は「声をあげる程の恐怖心」というものは肉体的苦痛を除けば差ほど恐怖感を抱いていないのだと、この時発見した。目の前にある夥しく損傷した死体の群れを前にして声が出なかったのだ。
それを見てまずみほが連想したのはピカソの描いた「ゲルニカ」である。
ある死体の頭部は日常生活ではあり得ない角度を保ちながら頸椎部の骨が皮膚を突き破りきらきら光っていた。そしてまだ死後間もないにも関わらず顔は永年打ち捨てられた蝋人形のように黒ずんでいる。その下にある女の死体はだらしなく両手を宙にぶら下げ髪の毛はぐしゃぐしゃに乱れていた。その姿が今連想した前衛芸術作品の中に描かれる苦悶に満ちた人々の姿と重なるのだ。
これ以上正視するのは耐えられなかった。「ここを去るべきだ」と決心して踵を返したその瞬間、まるでビー玉を体育館の床にばら蒔いたような音響と少し間を置いて耳をつんざくジェットエンジン音、機体が空気を切り裂く甲高い音が不快に混ざり合い通り過ぎた
。瞬間、床がガタガタ震え、みほは全身の毛が逆立った。
車内が若干の明るさを取り戻した事に疑問を感じ、ふと天井を見上げると無数の丸い穴が空いている。恐らく機銃掃射を受けたのだろう。火薬と血の臭いが鼻を突く。そして、八月の強烈な太陽光は無数の小さな穴をすり抜けると何条もの光の帯になって車内に降り注いだ。
いや、光だけではない。機銃掃射で撃ち込まれた多くの銃弾は死体の山にも着弾し、血飛沫を上げた。その勢いは天井にまで達し車内に血の雨を降らせる。赤黒い粘着性のある血がみほの夏服の肩や背中に滴り落ちてきて不快な気分をより不快にさせた。咄嗟に素手でそれを拭おうとして右手を肩に回した時、みほの人差し指と中指は何かに触れた。それを掴み凝視した時それが一体何であるのか判らない。二股に別れた小さな人形の下半身にも見えるその先端部には小さな爪が付いていた。人間の手のひらの一部であり、それも赤ん坊のものだと推測できる大きさである。ちぎれた部分から動脈であろうか血管らしき物体が電機配線のように絡み合っていた。
みほはびっくりしてちぎれた手のひらを放り投げるとその場にへたりこんでしまった。

「あの手のひらの破片はさっきまでお母さんの腕の中にいた赤ちゃんの物かな?」

激しい心臓の鼓動を感じながらみほは何故かそれを確かめたいと思った。しかし、それを確認する為には振り返りまた死体の山に視線を戻す必要がある。だが、ただでさえ凄惨な死体の山に無数の機銃弾が撃ち込まれたのだ。初めて見てしまった凄惨な光景以上のものを彼女はもう見たくは無かった。

またあの甲高いエンジン音が近づく。
機銃掃射か、あるいはミサイルか?立ち上がり逃げようとしたが、腰から下が他人の所有と錯覚させる程に力が入らない。頭の中が真っ白になった。

「もういやー!!」

みほは両手で頭を覆いながら絶叫した
。腕の一本や二本失ってもいいから生きてこの地獄から逃れたいと思った。
その瞬間、

「西住ちゃん、大丈夫か!?しっかりしろ!!」

上から突然腕を強く引っ張られた。その力強い運動エネルギーによりみほは直立する事が出来た。右腕を肩に回された瞬間、横を向くとそこには角谷杏の顔がある。そして、心配そうな表情でみほを見上げていた。会長は何故にこんな小さな身体で私を引っ張り上げる事が出来るのだろう?と一瞬不思議に思ったが、嬉しくて堪らない気持ちになる。全身に力が湧いてきて、身体じゅうの感覚を多少取り戻すことが出来た。

「ここにいちゃ危ない、とにかく外に逃げよう!」

「か、会長、私…。たくさん人が死んでて…赤ちゃんの指が…、」

「その話は後で聞くから!西住ちゃん歩ける!?」

「…はい。」

「早くしないと…何でか判んないけど多分この起動車は狙われてる。」

「…どうして!?」

「さあね。空から見たら目立つんじゃないかな?奴等楽しんでやがる!」

二人は起動車の外に這いずり出た。
出口を出た所に三体の死体が転がっている。
みほと杏を載せていた車両は線路を15メートルほど外れ、ある程度の広さを持つ地面に着地していた。元々この車両があったと思われる線路脇に空いた大きな穴の存在によってみほは急停車した後の顛末を推測する事が出来た。

まず急停車した後二人は頭を強く強打し、座席を立つこと無くその場にうずくまった。この時点で乗客の行動はみほ達と同様、座席に座ったままの人達と座席を立ち通路に殺到した人達に別れる。これが運命の分かれ道となったのだ。その後、線路脇にミサイルが着弾し、車両は横転したのだろう。
通路にいた乗客はその強烈な遠心力と着地した衝撃で車両の隅へと押し潰されたのだ。


みほと杏はよろよろと歩きながら前方にある小高い場所にある林の中まで避難する事にした。そこなら敵機からは死角になって狙われず、尚且つ大洗の町並みが一望出来るからである。

みほはある一つの疑問を角谷杏にぶつけた。

「所で会長は私を助けに来てくれるまで何処に居たんですか?」

「さあ、気がついた時には草むらにぶっ倒れてたよ。車両の近くで爆発した時に車外に放り出されたんだろな。でも不思議な事にかすり傷程度で済んだのは体重が軽かったお陰なのかも。ずっと小さい体がコンプレックスだったけどさ、初めて親に感謝したくなったねえ。」

杏はおどけた表情で白い歯を見せながらにかっと笑った。
それに釣られたかの様にみほも微笑む
。この非常時に冗談で和ませる度量を持った角谷杏という人物をみほはますます好きになった。

「西住ちゃん、もうすぐだよ。頑張って。」

「はい!会長も頑張って下さい!」

突然、元いた場所から爆発音が聞こえた。二人が振り返ると脱出した車両は夥しい破片と共に火柱を上げ、その数秒後には大きな黒いきのこ雲に変わる
。みほと杏は無表情でそれを眺めた。

「私、会長が来てくれなかったら今ので死んでました。ほんとにありがとうございます!」

みほは杏に深々と頭を下げた。
こんな時「いやあ、これでかーしまや小山にドヤされずに済んだよ」などとおどけるのが常である杏からは何の反応も返って来ない。不思議に思いながらゆっくり頭を上げたみほの視線の先には怒りと恐怖の入り混ざった表情をした杏の横顔があった。

「…っきしょう!あたし等の町をこんなに滅茶苦茶にしやがって!…チャンコロの野郎共、ぜってぇ赦さねえ!」

「え、…会長…?」

みほは小高い林の中に立ち杏の視線の先を見つめた。

その視界には至る所で瓦礫と炎に包まれている大洗町の破壊と殺戮で彩られた大パノラマがあった。
海岸線に目を移すと町の象徴でもあるマリンタワーが僅か10メートル程その面影を残し、その廻りは瓦礫に包まれている。あんこうチームが放課後よく立ち寄ったアウトレットの店舗群は辛うじてその原型を保っているものの、やはり炎に包まれていた。ある一部からは一条の細長い炎が立ち上ってる。
恐らくは都市ガスの配管を切断された折りに引火したのだろう。
中国軍の攻撃機は防御陣地をあらかた片付けると次の攻撃目標を町中にある目に付いた建物を片っ端から襲った。
マリンタワーやアウトレットは格好の攻撃対象である。大洗町民が一番愛した海岸線に佇む美しい神磯鳥居もその例外ではない。さっき二人が脱出した起動車も何もない場所にぽつんと転がっていた所に反復攻撃を受けた訳であるから、角谷杏が「何故だか狙われている」「奴等楽しんでやがる」と表現した言葉は案外的を得ていた。

目を凝らして見ると大洗町民による決死の救助活動がおこなわれていた。家の網戸らしき物を担架替わりに使用して死体なのか怪我人なのか不明の人間を搬送している。まだ救急車やパトカーといった公的車両を確認する事は出来ない。ここからは遠くて視認しづらいがきっと町中ではみほが見た死体の山と同様の地獄絵図が広範囲に渡って繰り広げられている事だろう。

「何でこんな酷い事…一体、自衛隊は何やってるの!?…」

みほはそれ以上言葉を発する事が出来ない。
突然、聞き慣れない携帯電話の着信音が鳴り響いた。条件反射でカバンの中から取り出し液晶画面を見ると「防衛庁からの緊急メール」と表示してある
。今度は女性の声でアナウンスが聞こえた。

「空襲警報です!空襲警報です!茨城県、千葉県の太平洋側において国籍不明の軍用機による空襲が行われる危険
があります!頭を毛布等で守り速やかに安全な場所へ避難してください!
最寄りの学校、公民館、地下鉄などが有りましたら早急に避難してください
!まず自分の命を優先してください!
空襲警報です!空襲警報です!」

みほは遠くで炎をあげている小学校の体育館を眺めながら「あはは…」と笑
った。それは世の中の正義や美徳を嘲笑う乾いた笑いである。

「何、アホなメール飛ばしてんだ!?今頃遅ぇよ!とっくに学校も公民館も燃えて無くなってんだ!戦争してんのに学校だから攻撃しませんよ、なんて理屈が通るかよ。台風や地震じゃあるまいし…大体、大洗に地下鉄なんかある訳ねえだろ!」

角谷杏は傍らの木に拳を打ち付けた。

「国籍不明の軍用機って何でしょうかね?今の情勢から見たら中国軍以外あり得ないのに。」

西住みほは遠い目で不毛な質問を杏に問いかける。
 
「どうせいつもの“配慮”って奴さ。役人の皆さんは日本国民の命より近隣諸国の国民感情の方が大事なんだろ。…ちっ、今頃ノコノコ現れやがった」

二人が空を見上げると、航空自衛隊の戦闘機が編隊飛行を解いて各自攻撃目標に襲いかかっている。二機の中国軍の攻撃機が瞬く間に撃墜された。
それを目撃した残りの十三機は慌てて
海の彼方へ逃げた。
救助活動をしていた大洗町民の中には両手を上げて歓声をあげている者が少なくなかったが西住みほと角谷杏にはそんな心の余裕は微塵も感じない。

中国軍機が去った今、二人が行動すべき事はいち早く大洗戦車道チームと合流することである。ここから本拠地の木造校舎まで直線距離で1キロから1.5
キロといった所か。敵の第二波が来る可能性を考慮すると、町の中心部を突っ切るのは危険であると判断し、少々遠回りになっても川の上流側に沿って樹木の多い植林地帯を進むのが望ましい。西住みほと角谷杏は一旦町外れの平坦地に下って川沿いを目指した。

五百メートル程進むと老若男女三十人位の集団に出くわした。
皆、服はぼろぼろに破れ煤汚れている
。その中の数人は靴さえ履いていない状態で正に着の身着のままでの逃避行である。角谷杏が事情を聞くと、海岸線に陸上自衛隊が臨時の野戦病院を開設するらしい。彼らはそこに向かって行く途中であった。
そんな開けた場所に野戦病院など危険であると西住みほが意見したが、町中は交通網がズタズタにやられているらしく、徒歩での移動は海岸線が一番安易で、設備や医薬品を輸送するヘリの離着陸にも海岸線地帯が一番スムーズなのだ。

事情を把握した二人がその場を立ち去ろうとした時、一組の70代と40代くらいとおぼしき父子がみほと杏に話掛けてきた。

「君らは行かないのかい?二人とも頭を怪我してるじゃないか!?」

みほと杏は最初の攻撃による車両の急停車で受けた傷の事などすっかり忘れていた。

「お気遣いありがとうございます。私らは大丈夫なんで。それに先を急いでますから。」

「…そうか。それならいいんだが…。
と言うか君達、今年戦車道大会で優勝した戦車道部員じゃないか!?俺もテレビの前で応援してたんだよ!」

少し興奮ぎみに40代の男は握手を求めてきた。みほと杏は少々不躾で不謹慎な男の要求に顔色一つ変えずそれに応じた。

「…それとさ、…これはあくまで噂に聞いたんだが、君らはもし中国軍が攻めてきたらあの戦車で立ち向かうのかい?…もしそれが本当なら悪いこたぁ言わないから止めときな!自殺するようなもんだよ。まだ若いんだ、命を粗末にする事はない。別に日本が共産主義の国になったって”住めば都“さ。中国軍だってまさか命までは取らんだろうしね。」

今目の前で多くの人々を殺された目撃者とは思えない台詞である。これが平均的日本人の思考なのかと思うと情けなくて涙が出そうになる気持ちを堪えながら角谷杏は男の質問を無視して立ち去ろうとした。

「お、おじさん!あなたは悔しくないんですか、ここまで滅茶苦茶にされたんですよ?」

杏はびっくりして振り返った。西住みほが人に抗議するのを初めて見たからである。

「西住…ちゃん?ちょ…」

男は気色ばみながらみほに忠告する。

「そりゃ俺だって悔しいさ。生まれてこのかたずっと大洗に住んでるからね
。しかし俺は君らを心配して言ってるんだ!大洗町のヒーローに対して本当はこんな事言いたくはないんだよ!それに君の親御さんの気持ちも少しは考えなさい!」

みほの脳裡に母親である西住しほの冷たい表情が浮かぶ。やるせない気持ちになったがそれを無理矢理抹殺した。

「今、全国の学生の多くが義勇兵に志願してこの国を守ろうとしてるんですよ!それに水を差すような台詞は聞き捨てなりません!…おじさんには子供はいないんですか?」

普段大人しそうな少女が激昂する様子を見て男は面食らったが子供の事を聞かれると急に表情が曇った。

「ああ、いるよ…。高校二年生で今は別れた女房のとこで暮らしてるんだが。…四日程前かな、いきなり俺の住むアパートにやってきて、俺は義勇兵に志願する。もしかするとこれが最後の別れになるかもだから顔だけ見に来た、なんて言いやがるんだ。俺は必死に説得したけど頑固な性格は別れた女房にそっくりでね。全く俺の言葉なんて受け入れやしねえ。この前まで甲子園に行くんだ、なんて言ってたが…。今頃はどっかで鉄砲担いで訓練でもやってるのかもな…。まあ、しばらくしてほとぼりが冷めて帰って来てくれるといいんだが…。こんな話、君に話すのは…まあ、何だ…親の気持ちも少しは汲んで欲しがったらなんだ。俺の言い方が気に障ったんなら謝るよ。」

男の表情から察するに息子は戦場で命を落とすかもしれないと半ば諦めているのが伝わってくる。

あくまで推測の域を出ないが甲子園を目指していた息子は昨今、日本を取り巻く情勢に危機感を感じインターネットの情報を漁る内、中国の横暴ぶりと国家の危機に義憤の念を持ったのだろう。十代に有りがちな正義感と言えば見も蓋もないがその気持ちは痛いほどみほには共感出来た。離れて暮らす父親の言葉が子を思う気持ちから発せられたにせよ、自分の国が「共産主義になっても構わない」などと不勉強も甚だしい台詞を父親の口から聞かされた息子の胸中はさぞかしショックだったに違いない。
しかし、親の愛情が希薄な家庭で育った西住みほにも、たとえそれが愛国者にせよ売国奴にせよ親子愛という物が国境や時代とは関係無く普遍であるのを知っている。
みほは自分の中にある怒りの感情をぶつける相手を間違えた事に遅まきながら気付き自らを恥じた。

「あ、あの、すみませんでした!私、何も知らずに勝手な事ばかり…。」

男は右手でみほの謝罪を遮り寂しげな笑みを浮かべながら海岸線に続く長い行列の中に消えていった。

「…さあ、西住ちゃん。先を急ごう」

「…会長…私、さっきの人に酷い事言ってしまいました…。ちょっと自分が嫌になります…。」

角谷杏はしばらく黙っていたが、ふと思い出した様に言った。

「でもさ、あんな凄い爆撃受けてもさっきのオッサン元気そうだったよなー。わたしらに握手なんか求めて。」

「……。」

「ああいう奴は災害だろうが戦争だろうがしぶとく生きるタイプだね。高校球児の息子だってきっとそうさ!さっきの空襲で親や子供を失った人が大勢いる中でまだオッサンやわたしらはラッキーな方だよ!…だからさ、もう気にする事ないんじゃないかな?」

「…はい、何か慰めてもらってゴメンなさい…。」

「いいって。…でもさ、うちらの親兄弟だけ学園艦っていう安全地帯にいるのは何か気が引けるよね…。」

「…私も今そう思ってます。だから余計にさっきの事が…。それに学園艦に宿泊してるみんなの親御さん達もさっきのおじさんみたいな心境なんでしょうね…隊長である私はさぞかし皆さんから恨まれてますよ…。」

みほは俯き加減で力無く笑った。
杏はみほの胸ぐらを両手で掴み、まるで懇願するかの様な口調で言った。

「しっかりしろ!今からそんな弱気でどうすんだ!?…いずれ近い将来日本のどこにいても安全地帯なんて存在しなくなる!たとえ学園艦でもな。それを未然に防ぎたかったから私達は立ち上がったんじゃなかったのかよ?今さら親兄弟が心配してるから辞めますじゃみんなに示しがつかないだろ?
それに…私達は絶対死なない!つか、私が死なせない!西住ちゃんもこれから頑張ってさ、死なない為の作戦を一緒に練ればいいじゃん!な!」

杏は目に涙を潤ませていたが寸出の所で押し止まっている。
目を伏せていたみほはゆっくりと力強い視線を杏に向け、一度だけ頷き一言だけ「はい」と返事をした。

やがて二人は全行程の半分の地点までたどり着く。林の切れ目からは町の一部が展望でき、まだ至る所で火災が鎮火されないまま放置されていた。時折風に流されてゴムや木材の焼ける臭いがした。救助ヘリのローター音や遠くで救助車両のサイレンも鳴っている。

その喧騒の中にあって違和感を感じる音が混ざっているのに気付いた。しかもだんだんその音は近付いてくる。
キュラキュラと鉄と鉄が軋み合う無限軌道の音。戦車であった。

「かーいちょーう!」

「西住さーん!」

河嶋桃と小山柚子の声が聞こえる。
きっと私達を捜してここまでやってきたんだ。

「おーい、かーしまー!、小山ー!」

こっちも声を振り絞って声をあげた。

ヘッツァー戦車が林の中から姿を現すとみほと杏を確認したのだろう、急停車した。一列縦隊で追随する戦車もそれに倣う。
ほぼ同時に各車両とも天蓋が開き、ぞろぞろと仲間達が躍り出てきた。
いの一番に出てきた河嶋桃は戦車の斜面装甲で足を滑らせ、したたか腰を打ったが、痛みとスカートに付いた泥を気にする素振りもなく一目散に角谷杏の元へ駆け寄った。

「かいちょーう!よく御無事でー!!…もし会長にもしもの事があったら…私は…もう!…」

「心配掛けてすまない。私はちゃんと生きてるよ。」

膝まづき杏の胸に顔を埋める桃の頭を杏は優しく撫でた。

「ちょっと!?二人ともケガしてるじゃない!」

柚子はポケットからハンカチを取り出すと、みほのこめかみをそっと拭こうとした。

「みぽりーん!」「みほさん!」
「西住殿ー!」「…西住さん」

突然後ろからなだれ込んだあんこうチームにより小山柚子の右手に持ったハンカチは宙をさ迷う。
彼女は思わず苦笑した。

みほは、三人に抱きしめられて揉みくちゃにされたが嬉しかった。真夏の野外での密着は非常に暑苦しく思えるが
不思議な事に不快感を感じない。寧ろ感動のあまり鳥肌立ち、一瞬ではあるが寒気を感じた程である。

「みぽりん達が載ってた汽車、校舎裏から見てたんだよ!爆弾が近くに落ちて汽車が転げ落ちたの見て私、思わず叫んじゃった!でもみぽりんが生きてくれててホント良かったー!」

「え、見てたんだ!?」

「はいー!しばらく誰も出て来なくて心配したんですよ!その後、会長さんが助けに行って二人で出てきた時は胸を撫で下ろしました!すぐに助けに行こうと思ったんですが空襲がひどくて
…すみません。あっ、それと武部どのー、あれは爆弾じゃなく、空対地ミサイルですよー!」

「もー!どっちでもいいわよ、そんな事。」

「でも、よくかすり傷程度で済みましたね!?」

「うん、そうなんだ。自分でもよく判らないけど…。」

「麻子!」「冷泉殿!」「麻子さん!


一人だけ輪に入りそびれた冷泉麻子は
武部沙織と秋山優花里と五十鈴華に促され、涙ぐみながらゆっくり近付きみほの体そっとを抱擁した。

「西住さん…もし西住さんが死んだら私が殺すからな。」

「あはは!うん、わかった。その時はお手柔らかに頼むね!」

廻りに戦車道部員達の笑い声が響いた
。みほは起動車での奇怪な体験が現実味を失い、実はただの悪夢を見ていたのではないかという錯覚に囚われた。