これが本当の本土決戦death

第1章 1


第1章 戦火への道程

話は日本国内に移る。
2021年6月、中国共産党による日本
人排斥運動に伴う人道的救済と中国
政府への働きかけ、中国軍による我
が国への武力侵攻予測についての話
し合いで国会内は紛糾した。

この頃、日本と中国はほぼ国交断行
に近い状態であったがまだ日本共産
党は中国共産党と強いパイプで結ば
れていたのである。
与党自民党は邦人救済の為の橋渡し
を頼みこんだのだが、日本共産党は
なかなか首を縦に振らない。

「中国政府に救済を申し込むならば
最初に日本人としての筋を通すべき
だ。日中戦争当時、日本軍が行った
南京大虐殺500万人についてまず謝
罪し補償するのが先である。」

が、彼らの言い分である。

これは前章で記した2020年8月15日
に中国と韓国が国連で一大キャンペ
ーンを張った事柄を指す。
この時中国政府が日本に対し、今後
50年間毎年10.5兆円賠償と、我が国の
内閣総理大臣の公式謝罪を要求してきたものである。
これは保守系議員と国民の中国に対する義憤をもたらす最初のきっかけとなった。
一応、自民党は保守政党の体で動く
組織だ。彼らにとって、日本人が未来永劫中国に対して有りもしない捏造された虐殺事件で土下座し続けるのは未来の子孫の為に絶体出来ないのである。
外国に在住する本国人の救済が困難
であるなら通例ではこういった場合、国連平和維持軍が動くのであるが承
知の通り中国は常任理事国である。 日本政府の予想通り拒否権を行使し
て思惑を阻んできた。
日本の民間機派遣すら断ってきたの
だから当然の結果であろう。
結局、昌近平が民衆を煽動して僅か
な時間しか残されて無かったとはいえ、日本政府が中国内に取り残され
た邦人を見殺しにする形になったの
は紛れもない事実だ。

起こってしまった歴史に「もし」を 言い出したらキリがないのだが、も
し自民党と日本共産党が一致団結し
て事に当たったらもっと結果は良い
方向に行くはずだったろう。 
個人的な見地から敢えて言うならば、この年5月から6月にかけて殺され
ていった日本人の無念さを思えば日
本共産党の存在は「有害」以外の何 物でも無い。


また近い将来懸念される中国の日本
侵攻に対しても与党と野党の間で議
論は紛糾した。

予算委員会でのやり取りで防衛省大
臣は次の様に述べた。

「中国内情勢が不安定になった頃か
ら中国人民解放軍の動きについて大
量の情報が来ている。これは敵国が尖閣諸島や石垣島等に対する島嶼侵攻作戦を行う場合の想定戦力を遥かに越える規模である。
米国情報局や防衛省からの衛星写真
による情報だから信憑性は高いだろ
う。臨時的に防衛予算を今の二倍に
しないと我が国の国土は近日中危機
的状況を迎える。」

これに対して日本共産党、民進党、
社民党はほぼ同様の論戦を展開する。

「中国が日本に戦争を仕掛けるとい
うのはあり得ない、憲法第9条がある
のだから。平和を愛する日本人に銃
を向ける国があればその国は世界か
ら非難を受けるだろう。」


「仮に中国が日本憎しで進駐してく
るのであればそれは我々日本人にも
責任がある。戦争責任をちゃんと果
たせば相手も真摯に耳を傾けるはずだ。」

「防衛大臣は防衛費用を倍増して危機に備えろと言うがまた先の大戦の悲劇を繰り返すつもりか?もし、相手国が核ミサイルを撃ち込んできたら貴方は責任取れるのか?」


大手新聞紙、各局テレビニュースも野党を支持した。更に防衛大臣の発言は
中国の人々に対する民族差別発言だと
レッテル張りし世論を煽った。
防衛大臣を始め与党議員の発言は徐々に積極性を失っていく。

国内の世論は真っ二つに別れた。
インターネット上では保守派とリベラル派、在日中国人との間で口汚く罵り
合い、やがてそれはデモ活動での乱闘
騒ぎとなって目に見える形で現れてきた。東京、大阪、名古屋といった大都市では珍しくない光景になる。

全国ニュースは三日に一件の割合で発生する政治的イデオロギー絡みの傷害事件、殺人事件を連日報道した。
外国人観光客、特に中国人の訪日は2019年にピークを迎えたが東アジア情勢の悪化と共に下がり始め今や全盛期の十分一にまで落ち込む。

街や観光地から中国人や韓国人の会話が消え去った。




こういった様々な世界的変貌要因を経て日本国内が混乱していく時代を背景にこの戦記は始まる。


大洗女子学園戦車道に所属し「あんこうチーム」と名付けられた五人の少女
達にスポットライトを当て物語を進めて行こうと思う。


茨城県の太平洋側に面した大洗町は夏に海水浴客で賑わう時以外においてはのどかな港町である。観光ホテルが並ぶ海岸には波によって浸食された岩場が広がり奥の岩場には鳥居が建っている。特に朝焼け夕焼け時になると美しく印象的なシルエットを観ることが出来た。
その景色を観た者の眼にもう一つ不思議な光景が映ることとなる。

「学園艦」と呼ばれる全長七キロもある巨大な艦艇。それはまるで長崎の軍艦島を思わせる様な姿である。第一印象としては航空母艦に見えるのだが、近づくにつれてそれが「町」である事に気づく。艦の運営は乗組員の高校生達によるもので正確には「学校区」と言えばピンと来るのかもしれない。
つまり、艦の運営は高校生、高校生の親兄弟、他の住民はその「学校区」に居住して一つの町を形成しているのだ。

その学園艦には二十軒の理髪店がある。
その内の一軒である秋山理容店はあんこうチームの一人である秋山優香里の実家だ。二階は優香里の勉強部屋に使用されており、七月のある日あんこうチームの五人は優香里の部屋で期末テストに向けての勉強会を開いていた。

勉強会とは言っても、教える側は専ら冷泉麻子、五十鈴華の二人であった。

「みんなゴメンね、私まだ学校の勉強にあまりついていけないから…。本当なら車長の私が一番しっかりしなきゃ
いけないのに。」

西住みほ申し訳なさそうな笑顔で廻りの四人を見渡した。

あんこうチームの車長であり、大洗戦車道チームの隊長である西住みほは三ヶ月前に戦車道エリート校である熊本の黒森峰高校からある深刻な事情を抱えてこの大洗女子学園に転校してきた。この学校に来て早々、不本意ながら創設間もない戦車道チームの隊長に指名されてから録に勉強する時間が無かったのである。

こんな時、先陣を切って擁護するのは
いつも秋山優香里だった。
彼女はあんこうチーム、いや、大洗戦車道チームの中で軍事に対する造詣が最も深く戦車、戦車道をこよなく愛していた。また、西住みほに対し戦車道
指揮官として尊敬の眼差しを向けている。実際の所、西住みほも右腕的存在は秋山優香里だと認めていた。

「そんなことありませんよ、西住殿、私もどちらかと言えば教えてもらうほうですが…最近私の部屋が皆さんの溜まり場みたいになって、とても嬉しいんです!」

「ありがとう!優香里さん」

みほの申し訳なさそうだが、しかし嬉しさを隠しきれない笑顔だ。

「ゆかりんのお父さん、お母さん、とても優しいしねー。毎回おやつが出るからこの家に来ると幸せな気分になっちゃう!」

「あら、沙織さんダイエットしてるって言ってませんでした?糖分の過剰な摂取は美容の大敵って前に観たテレビの司会者がおっしゃってましたよ。」

「もー!そーゆー事言わないよぉ…。でも華はいいよねー、幾ら食べても全っ然スタイル変わらないし。」

「身体の代謝が良いからなのでは無いでしょうか?私、将来…えーと…何でしたっけ、あの…フード…フード何とかになれるかもしれませんね。」

「フードファイアー!」

武部沙織の一瞬の迷いなき迷回答だ。

武部沙織は美容と恋愛にしか興味が無いといった、云わばこの五人の中では
一番年頃の女子高生らしい性格の持ち主である。
一方、五十鈴華は華道の家元の娘だけあり、発言や行動に気品が漂っていた。しかし、その言動には全く嫌味さを感じさせない。

「お前ら、いい加減にしろ!秋山さんの家に来たのは勉強するためだろ!
皆やる気無いなら私は寝るぞ!あと、フードファイターだ!」
 
冷泉麻子は普段は無口でクールな印象に見られがちだが本人は大して気にしていない様な、クラスに必ず一人いるタイプの秀才である。

冷泉麻子の一喝により皆は真面目に
試験勉強に没頭した。一時間は。

「ねえ皆さん!勉強の方はちょっと一休みして例のやつ、また皆で観ませんか!」

秋山優香里がこの台詞を言うときは決まって「あの試合」の動画である。

「あの試合」とは一ヶ月前に行われていた大洗女子学園の存続を賭けて大学選抜の早々たる面子を相手に闘った試合の事である。
秋山優香里は大昔の軍歌をハミングしながらテレビモニターをYouTubeの画面に切り替えた。

試合の様子を眺めながら五人はしばしの間感慨に耽っている。
たかだか一ヶ月前の出来事だがまるで一年位経過した様な、それでいてまるで昨日の事の様な不思議な感覚が五人を包む。
何時しか、あの時はこうすれば良かったとか何処其処の高校の弱点は何々だといった机上演習もどきの会話になったりした。

「ここ!やっぱり何度観ても感動物ですよねー!まるで映画のラストシーンみたいですぅ!」

場面は試合終了後、大学選抜チームの隊長島田愛里寿と我が大洗友情結束チームの隊長である西住みほの健闘を称え会う握手のシーンである。

西住みほの顔は紅潮した。
それを眺めながら他の四人もつい釣られて笑顔になってしまう。

その時、突然部屋の襖が開いた。
秋山優香里の母があんこうチームの五人に勉強の息抜きにとジュースや菓子を携えて立っていた。

秋山優香里は急いでテレビのリモコンを掴み取りYouTubeの画面を消去し民放放送に切り替えた。他の四人は少しバツの悪い面持ちで「お邪魔しています」と頭を深めに下げた。

「優香里、あんたまた試合の動画観ようって言ったんじゃない?
勉強教わる立場なんだから皆さんの迷惑になるような事しちゃダメでしょ」


コップやおはぎの乗った小皿を各人の前に並べながら軽く優香里を諌めた。

「今から観ようとしてただけだよ。
ってゆうか私の部屋に入るときは声掛けてねって何回も言ってるよね!?」

「ハイハイ、それはご免なさい。
皆さん、大した物じゃないけど召し上がって下さいね!」

「ありがとうございます!」

秋山優香里以外の三人は満面の笑みになった。

「おばさんの作るお菓子っていつも美味しくって感動します!今度作り方教わってもいいですか?」

武部沙織は眼を輝かせながら優香里の母に尋ねた。それが決してお世辞から発せられた言葉ではないのを優香里の母も感じたのだろう。

「あらぁ!ありがとうね武部さん。
おばさん嬉しいわ!じゃあ、今度時間がある時いらっしゃい。」

とこちらも本当に嬉しそうな優しい笑みを返す。

「はい!ありがとうございます。」

優香里の母は軽く会釈しながら部屋を立ち去った。

「麻子さんのお祖母さんの作ってくださるおはぎもこのおはぎもとっても美味しいですね」

五十鈴華はすでに一つ目を平らげようかとしている。

「うむ、おばあのも捨てがたいが秋山さんのお母さんのおはぎも絶品だな!
所で、秋山さんが誰かに文句言ってるの見るの初めてだ。ちょっとびっくりしたんだが…。」

「そりゃ、ゆかりんだって反抗期真っ最中の16歳乙女なんだから当たり前でしょ?ねえ、ゆかりん。」

「そんなんじゃないですよ!て言うかなんか恥ずかしい所見られちゃいましたね。早いとこおやつを食べて勉強に戻りましょう!」

秋山優香里はわざとらしく口一杯におはぎを頬張って見せる。
周りから笑い声が起こった。

「みほさん、さっきから何も仰らないけど…気分がすぐれないのですか?」

五十鈴華は心配そうに西住みほに話掛けた。四人はふと西住みほの方へ視線を移す。
彼女は悲しげな表情でテレビモニター
を観ていた。
反射的に四人とも眼と耳をテレビモニターに傾ける。

テレビに映し出されるニュース番組は最近中国で発生した日本人居留者大虐殺の事件とそれに反応した日本人と在日中国人との争いを伝える内容だった。やがてその話題は中国人民解放軍と反中国ゲリラとの間で何時終わるともない戦闘の様子へと変わっていった
。テレビモニターの中でソ連製のT60
戦車がゲリラの拠点に向けて機関銃弾を狂ったように浴びせている。
やがて戦車はゲリラ兵士の放った個人携行型対戦車ミサイルによって炎と煙に包まれた。

何時しか場の空気が重苦しくなる。
秋山優香里は怒りと悲しみの入り交じった口調で

「こんな使われ方するなんて…戦車があまりにも可愛そうです!」と憤慨した。

西住みほは一瞬だけ秋山優香里を一瞥すると、すぐに目線をテレビモニターに移した。

「でも、これが戦車本来の使われ方だよ…元は戦争の道具なんだし。」

西住みほにも憤慨と悲しみの表情が見て取れる。

「そんなこと分かってますよ」と言わんばかりに気色ばんだ顔の秋山優香里は西住みほから眼を逸らせた。と同時に浅はかな発言だったかなと自分自身を恥じた。

「あっ…ご免なさい、そんなつもりで言ったんじゃないの!優香里さん。」

顔を上げて西住みほを見ると、いつもの遠慮がちな優しい表情で秋山優香里の顔を覗きこんでいた。

「私、優香里さんがいつも戦車や戦車道の話する時すごく楽しそうにしてるの見てるから…その…気持ちが分かるっていうか…。」

「ああっ!、済みません!私、西住殿を困らせてしまいました…。」
「…でも、逆に考えてみると職業軍人の目から見て戦車道ってどう映ってるんですかね?」

暫く考えて西住みほは答えた。

「平和な時代だと武道として尊重してくれると思う。でも戦時の戦車兵から見たらどうなんだろ?所詮は戦争の真似事にしか見えないのかも。真剣勝負の場面に竹刀と防具を着けて来るみたいな違和感っていうか…上手く言えないけど…やっぱりゴメンね、私今まで戦車道やってて命のやり取りしてるなんて考えた事無かったからそれ以上の事は分からない…。」


暫しの間沈黙する。

「こんな事が近い内に日本でも起こるんでし…」

五十鈴華の台詞を遮るかのように武部沙織が反論する。

「そんな事起こる訳ないでしょ?私、嫌だよ!戦車で人を撃つのなんて…。何を言ってるの華?」

まるで不安を打ち消すかのように消しゴムでノートの一頁を忙しく擦りながらも口調は明るく努めようとしている
武部沙織であった。

しかし、冷泉麻子はぶっきらぼうに言い放つ。

「いや、分からんぞ。昨夜観たニュースだと近いうち中国が日本に攻めこんでくるかもって言ってたしな…。」

まるで他人事の様にも聴こえる口調である。

「ちょっと!麻子まで!そんなの偉そうな評論家が言ってるだけでしょ!」

武部沙織は少しだけ激昂した。

「あのー、優香里さん。もし今中国が攻めてきたら日本の自衛隊と米軍の皆さんで追い返せるんでしょうか?」

今度は五十鈴華が秋山優香里に恐る恐る尋ねる。

「中国軍の軍備拡張は未だに右肩上がりですから、厳しいかもですね…。
仮に日本の海上防衛線を突破されたら非常にマズいです、大兵力での上陸を許せば…、私の推測だと三対七ぐらいの戦力差になると思います…。」

また暫く沈黙が続いた。

「…兎に角、今日の勉強会は終わりにしよう。もう、陽も暮れてきた。早目に帰らないとまたおばあにどやされる。」

珍しく冷泉麻子が率先して口を開いた。絶望的になる話題を振った責任を感じていたのだろう。


「そうですね。冷泉殿のお祖母さんきっと心配されますよ!」

「うん、それに二時間後は蒲団の中に入る予定だからな。」

「うわあ、麻子は相変わらず寝るの早いなあ。恋愛ドラマも観れないじゃない。」

「録画しているに決まってるじゃないですか。ねえ、麻子さん。」

「私はそんなもん興味無いぞ!」

「あはは…。」

五人がお互いに平静を装っているのは
誰しもが感じていた。

この日、五人の少女達は初めて戦争について向き合い、語りあった。
一般の高校生であれば、平和は尊いだとか自分なら海外に避難するといったあまり輪郭を持たないぼんやりとした主張になるのではないだろうか。「漠然とした不安」と言い換えてもいい。

しかし西住、武部、秋山、五十鈴、冷泉の五人は違った。彼女達にとって戦争とはもっと直接的な感覚、はっきり言ってしまえば、
「自分が兵士として戦う事になるかもしれない恐怖感」だ。

つまり、戦車道という武芸が現代戦において今もなお強大な「戦力」として見なされる可能性があるからである。

例えばある将軍の目の前に「戦車道」部員と「剣道」部員がいたとする。兵力不足を補う場合その将軍は間違いなく戦車道部員を選ぶだろう。
軍隊とは常に強力な戦力を欲する。

秋山優香里は中国が侵攻してくればその戦力差は三対七で日本が不利であると推測した。これは恐怖感が現実的になる材料として最悪の部類に入る。
この恐怖感はあんこうチームの五人だ
けではなく当時日本の全ての戦車道履修者の心中に大なり小なり存在していたはずである。


試験勉強を終え四人は玄関で秋山優香里の見送りを受けた。

外に出ると小雨が降っている。西日の
まだ沈まぬ太陽の方角を望むと晴れ間も見える。やがて梅雨も明けようとしていた。  
そして西住みほにとっては大洗に来て
初めての夏休みを迎える。



あんこうチーム内で初めて「戦争」に
向き合った日から二週間が過ぎた。

その間は学業、放課後の部活練習といった平凡な日常に追われ何時しか
「恐怖感」の度合いは薄まっていた。

(中国侵攻は単なる威嚇であり実際には
起こり得ない、そこまで中国政府も日本政府も馬鹿ではないだろう)

といった希望的観測が彼女らの心情を占めるようになり、或いは

(まさか女子高校生を最前線へ送り出すはずが無い)

といった至って健全で常識的な事実に
気付いた。と言うより、そう思い込んでいた。


この日は学校の修了式である。全校生徒は体育館に集合し夏休み直前の期待感でいつもよりざわついている。
あんこうチームの五人も例外ではない

こういう時、武部沙織は五人の中で一番期待感を全面に押し出す。

「そういえばさーみぽりん、大洗に来て初めての夏休みだよね!」

「うん、でも何にも予定建ててないから暇を持て余しそう。」

西住みほの「困ったなー」と言いたげな笑顔である。これは彼女の癖であって本当に困っているのではない。本当は仲間と楽しみを共有する喜びでいっぱいなのだ。

「みほさんは実家の熊本県に帰省なさらないのですか?」

少し心配そうな顔で五十鈴華がみほに尋ねた。

「帰る予定は無いよ…。まだお母さんとは気まずい関係だし、お姉ちゃんとはメールや電話でたまに話してるから
熊本に帰る意味はあまり無いかな…。


「そうなんですか…。でもみほさんのお母様も本心では心配なさってるのでは無いですか?」

「ありがとう!心配してくれてとても嬉しい!…でも、まだお母さんと顔を
合わせる事に自信が持てないから。」

「じゃあさ!来週にでもあんこうチームで海に行こうよ!去年水着買ったけどあんまし使ってないじゃん?
そんで、今年は地元の大洗海岸じゃなくて九十九里浜まで足を伸ばしてみるっていうのはどう!?」

「いいですねー!来週には梅雨も明けるそうですし。私、大賛成です!」

「そうだね!また私の家にみんなで集まってお弁当作ったり出来たら楽しいだろうな!」

「じゃあ、決まりね!麻子とゆかりんには後で私から伝えるから!」

武部沙織は親指を立てながらウインクした。


秋山優香里は別のクラスであった。冷泉麻子は三人と少し離れた場所にいる。西住みほはふと二人を目で捜してみた。

秋山優香里は同じ戦車道チームのカバ
さんチームと呼ばれる歴史好きのメンバーと何やら談笑している。ソビエト軍の悪口でも言いながら盛り上がっているのだろう。
その十メートル位前にはカモさんチームと呼ばれる風紀委員、風紀委員長の園みどり子と冷泉麻子がいつもの夫婦漫才みたいな口論をしている。

改めて周りを見渡すと全校生徒一同が
様々な計画話に華を咲かせている。
西住みほは自分の中にも夏休みを楽しみたいという感情があるのに正直驚いていた。


「静粛に!!」

突然に生徒会副委員長、河嶋桃の怒声が館内に響き渡った。全校生徒が、びくっとなり暫しの間静けさが全体を包みこむ。河嶋桃はさらに続けた。

「お前ら、夏休みだからって少し浮かれ過ぎだぞ!本来ならこの学校は廃校になるはずだった事を忘れるな!
今後またどんな危機が訪れるとも限らん。その為にも休みの間羽目を外し過ぎて本校の名前に泥を塗るような事は絶対に許さんからな!」

どこからともなく

「はーい、分かってまぁーす」

と気の抜けた返事が却ってきた。
今度は館内に失笑が沸き起こる。

「誰だ!今喋ったのは!………戦車道部一年生は修了式の後ここに残れ!」

河嶋桃は一度咳払いし落ち着き払った後、

「では会長、一言お願いします。」

と生徒会会長、角谷杏を壇上に促した。

「えー、私から言いたい事は今、河嶋が伝えたから繰り返さない。ただ、事件や事故などに巻き込まれないようくれぐれも気を付けるように。私からは以上だ。」

生徒全員が呆気に取られた。いつもの
調子とまるでかけ離れた様子だったからである。

生徒会会長の角谷杏という人物は普段、軽薄なお調子者といった風情があった。例えばこういう壇上に挙がる際は「いぇーい!」などとおどけて見せたり、時には生徒会会長の特権をフル活用し他を抑え込み学校内を統治する様な二面性を持ち合わせている。西住みほが大洗女子学園に転校してきて早々、戦車道の隊長に無理矢理に任命されたのは角谷杏の独裁的決断によるものだ。

しかし、廃校危機の折りには巧みな政治的手腕で廃校を阻止する為の裏工作に奔走したり、隊長の使命を全うしようと四苦八苦する西住みほに対して鍋料理を振る舞うといった強く優しい側面もある。  

そんな角谷杏の拍子抜けした言葉に
体育館内はざわついた。

「会長どうしちゃったんだろうね?」

後ろから武部沙織がささやいた。

「干し芋食べ過ぎて気分がすぐれないのではないでしょうか?」

そんな訳ないよ華さん、と心の中で笑いながら西住みほは、

「さあ、何だろうね…。」

と答えるに留まった。

やがて解散になり生徒達は自分の教室に戻り始める。後は担任教師による通り一辺倒の話を聞いていよいよ夏休み突入だ!とみほを含め誰しもが思っていた。と、その時

「西住ちゃん、ちょっといい?」

角谷杏が西住みほを呼び止めた。

「はい?何でしょう。」

「悪いんだけどさ、今から生徒会室に来て。」

「…はい。分かりました。」

西住みほは武部沙織と五十鈴華に目で合図して角谷杏と生徒会室に向かった。

生徒会室に向かう道すがら角谷杏はどうでもいいような質問を西住みほに投げ掛ける。訝しげに「はい」「大丈夫です」などと当たり障りのない返事をするみほ。

生徒会室の扉が近づいてくると角谷杏


「ある人も待ってるから。」

と神妙な面持ちで言った。

西住みほは少し嫌な予感を感じつつ生徒会室の扉を開けた。

そこに立っていたのは軍服姿の陸上自衛隊一等陸尉、蝶野亜美だった。