これが本当の本土決戦death

第1章 2


その姿を見た刹那、西住みほは戦慄した。時効寸前の殺人容疑者が突然目の前に刑事の姿を確認した時の気持ちであったに違いない。
では、何故に蝶野亜美はここにいるのであろうか?
練習の視察にしては修了式という日付は余りにも不自然である。
近日中に試合がある情報は聞いてはいない。

二週間前の秋山家での会話が頭をよぎった。

「西住さん、久しぶりね!とは言っても一ヶ月振りだからこの挨拶はおかしいか?」

蝶野亜美の口振りからは緊迫感の様なものは感じられない。西住みほは自分の表情から心中を察しられたのではないかと思い、努めて平静さを演じようとした。

「こんにちは、この前の試合で蝶野さんには色々とお世話になりました。お蔭で学校は存続し私達はすごく感謝しています。」

うまく喋れただろうか?蝶野亜美はどのような用件で自分を呼び出したのか?何時までも回りくどい会話を続けても蛇の生殺しなんだから、いっその事こっちから聞いてしまえ。

「…それで、今日はどういった御用件なんでしょうか?」

蝶野亜美は表情一つ崩さずに

「ちょっと、座りましょうか。話は少し長くなるから。」
と言った。

「はい」

西住みほと角谷杏はほぼ同時に返事を
した。
チラリと角谷杏の横顔を見ると、前髪で目の表情は読み取れないが一文字に硬く閉ざされた口元だ。みほが察するに恐らく角谷杏はまだ話の内容は知らない。だが、ある覚悟を持ってこの会談に臨んでいるであろう事は推察出来る。
修了式での拍子抜けするスピーチの意味を西住みほはこの時了解した。

三人は席に着いた。重苦しい時間が数秒続く。

「あなた達、最近のニュース報道を観てる?中国軍が近いうちに日本に攻め込んでくるって話なんだけど…。」

「……。」

「これは単なる憶測ではないの…。政府内と防衛省の防諜員の情報だと開戦時期は八月下旬から九月上旬の間、侵攻軍の規模は陸上兵力だけで約50万人…」

西住みほは目の前の景色が狭まっていくのを感じた。危惧していた事が今現実となり、近い将来自分は死ぬかもしれないといった強迫観念が頭の中を支配する。
ドアを開け蝶野亜美の姿を見た時、時効を取り消される殺人容疑者の例で例えたが、今度は死刑判決を受けた時の心境である。
「中国軍の日本侵攻は憶測では無い」
という言葉を現役自衛官、しかも尉官
クラスの人間の口から発せられた。
戦車道履修者に向けてである。
この公式に当てはめれは絶望的な解答が導き出されるのは火を見るのも明らかだ。

西住みほは、更に説明を続ける蝶野亜美の発音する口元をぼんやりと眺めながら、もう説明など聞いてなかった。
目の前全体が暗くなっていく。

「……」

「西住ちゃん!?」「西住さん!?」

西住みほは人事不詳に陥ったのか、気が付くと角谷杏と蝶野亜美に支えられていた。角谷杏の手の平から優しい温度が西住みほの頬へ伝わるのを感じた


「西住ちゃん!大丈夫?ちょっと横になる?」

「角谷さん!衛生部からストレッチャー借りてきて!」

「はい!」

「いっ、いえ!もう大丈夫です。少し目眩がしただけで…。」

西住みほは狼狽しながらも自責の念にとらわれた。急に恥ずかしくなり今すぐにでも生徒会室を飛び出したくなる衝動に駆られたが、それよりもまず恐怖したのだ。自分一人が安全地帯から放り出される様な孤独感に襲われた。

しかし、角谷杏の手の温もりのお蔭で自分が一人ではない事に気付いた。そして自分は大洗女子学園戦車道の隊長としてここにいるのだという自覚が急に彼女を落ち着かせた。

「本当に大丈夫?いきなりこんな話聞かせてショックなのは分かるけど。日を改めて話したほうがいいかしら?」

「いえ、もう大丈夫です!お恥ずかしい所をお見せしてすみません。」

角谷杏は西住みほから蝶野亜美へと
視線を変え抗議にも似た調子で、

「蝶野さん、一つ質問があるんですが何故そのような話を我々にするのか理解しかねます。…つまり、私達に中国軍と戦えって事を言いたいんじゃないですか!?その為にここに来たと。」

角谷杏の質問は核心を得る内容である
。西住みほは質問の間、息を飲み込んだ。

「……ええ、その通りです。」

蝶野亜美の氷のような言葉が西住と角谷の心臓に突き刺さる。

角谷杏は机の下で西住みほの手を強く握りしめた。みほも強く握り返す。

「あのー、私達は戦車道履修者であって自衛官ではありません。それに戦車道で使用される車輌は1945年までの謂わば骨董品です。加えて、戦車道は戦車同士だけの競技ですが実戦ともなれば随伴歩兵の有無や航空戦力も考慮しなければならないはずです。それを踏まえた上での私の意見なんですが、いくら戦車道履修者でも現代戦を戦えというのはあまりにも無理があると思うんですけど。」

西住みほは瞬き一つせず真っ直ぐと相手の目を見据えながら質問した。
蝶野亜美はさっきまで動揺し狼狽した
少女が今は毅然とした態度で自分と対峙している姿を見て感動を禁じ得なかった。
近い将来迫り来る外敵に対抗するであろう戦車道版遊撃部隊の隊長に西住みほを据えようとした自分の判断は正しかったとこの瞬間確信する。

「確かに世界大戦時代の戦車で現代戦を遂行するのは現実離れしてるわ。でもね、西住さん。私は今年の戦車道大会を観戦してみてある可能性を見出だしたの。それはあなたの常識を覆す戦術眼と人心掌握能力よ。あなた自身は気付いて無いでしょうけど。
確かに今年の大会であなたが立案した作戦は実戦では無意味なのかも。
だけどね、実際自衛隊の機甲師団における作戦要綱では、こっちがこう出れば相手はこう動いてくれるだろうといったご都合主義的印象は否めない
の。演習と違って実戦は思い通りにいかないほうがほとんどと言っても過言じゃない。
それに比べあなたは驚くべき臨機応変さで次々に困難を打ち破ってきた。
それは作戦立案能力も去ることながらあなたに対する敵味方分け隔てない信頼関係が可能にしたの。
私は大洗女子学園単体としてではなくあなた達が対戦してきた全ての学校が
一つのチームだと思ってる。」

「そんなの…私を買いかぶり過ぎです。それに、男子生徒ならいざ知らず女子生徒を戦車道履修者だからと言って強制的に徴兵するのは倫理的に間違ってはいませんか!?」

「私も西住ちゃん…西住さんの意見に同意します。いくらこの場で私達の同意を得ても他の生徒が同意するとは限りません。生徒会会長としての立場に立って言わせてもらえば本校の生徒を私の命令で戦場に送り出す事は出来ません!」

「あなた達は一つだけ大きな勘違いをしているわよ。この話はあくまで私からのお願いで強制ではありません。」

西住みほと角谷杏は顔を見合わせた。
強制でなければこんな話、はね除けるのは当たり前だろう。だが、そうと分かっていながらノコノコと陸上自衛隊の一等陸尉が訪ねてくるだろうか?
余りにも胡散臭い。
西住みほと角谷杏は手放しで喜ぶ事など到底出来なかった。
蝶野亜美の次の一言が更に追い討ちをかける。

「因みに知波単学園とサンダース大附属と黒森峰女学園は賛同してくれたわ
。」

二人に衝撃が走った。

「確かに私がこの話を持ち掛けた時はあなた達と同じ様な反応だった。
でもね、これだけはあなた達に伝えたかったの、聞いてくれる?」

「…はい。」

「実は賛同した三校の他にも賛同した高校生はかなりの数に登ってるの。
その子達はこっちが話を持ちかける前から自主的に志願してきた。
例えば、今年の六月に中国で殺されていった沢山の日本人がいたでしょ?
その中には両親や親友を殺された子もいるの。確か、大洗女子学園にも何人かいたわね。あと、自分の故郷を守りたいといった純粋な志を持った子とか
、勿論高校生だけじゃなく下は15歳から上は40歳男女問わずよ。
現在、陸上自衛隊には現役を退き倉庫に眠っている六四式自働小銃が五万丁程あって、その数に見合うだけの義勇兵を募ってる。恐らく、あと一ヶ月もあれば定員数揃うはずよ。
私がその話をしたから知波単やサンダースや黒森峰が賛同してくれたのは
私にはわからないんだけども。
因みにあなた達と違って賛同した学校にはもう一ヶ月も前に話したから考える時間は充分にあったわ。
あなた達が決断を下すのにそこまでは待てない。悪いんだけど二週間後に返事をもらえると助かります。」


ここで賢明な読者であれば気付いたと思う。
何故蝶野亜美が隊長候補に西住みほを選んでいたのにもかかわらず今頃になってこの話を大洗女子学園に持ち掛けてきたのかという事を。

理由は二つある。

まず一つ目なのだが、西住みほの姉である西住まほから口止めされていたのだ。
まほは妹のみほが戦車道に嫌気が差し黒森峰を出ていった事をずっと気に病んでいた。そして自分の身を差し出す代わりに妹は勘弁してくれという交換条件を持ち掛けて妹を戦場から遠ざけようとした。
蝶野亜美は今この約束を反古にしようとしている。


二つ目。
これに関しては蝶野亜美の心の中の葛藤というべき領域である。
周知の通り、彼女は自衛官であると同時に戦車道の技術向上と啓蒙活動に全てを捧げてきた人物である。
軍人として西住みほを見るならば是非とも自軍に招き入れ、その優れた作戦能力を思う存分戦場に生かせてみたいと思うはずだ。
しかし戦車道啓蒙者の視点に立つと180度違ってくるのである。
もし万が一西住みほを戦場で失う事があれば今後日本戦車道の技術向上は10年止まる事となる。
これは蝶野亜美、いや日本戦車道にと
って大きすぎる損失である。
国の存亡と日本戦車道の発展。この二つを両天秤に掛けた時から彼女の心は千々に乱れた。

西住まほとの約束、蝶野自身の葛藤に
よって大洗女子学園に話を持ちかけるタイミングが遅れに遅れたのである。
皮肉にも西住みほ、角谷杏達に考える余地を与えないという結果を招いたのだが。

話を戻そう。

蝶野亜美の話によると、装甲の鎧を纏わずに肉体一つで志願する女子を含めた高校生達がいる。なのに戦車といった「兵器」を持ちながら国家存亡の危機に立ち上がらないのは如何なものか?という事を西住みほと角谷杏に諭したかったのであろう。
言いたい事は分かる。しかし、一つだけ釈然としない事があった。
角谷杏は質問した。

「蝶野さんの言いたい事は分かりました。こちらで一度話合い二週間後に連絡します。しかし、いくら敵の数が50万人でも上陸前に相当数減らせるのではないんですか?私は軍事に疎いので
詳しくは分かりませんが、アメリカ軍の海軍は世界一だという事位は知ってます。当然、アメリカ陸軍も応援したら蝶野さんが言ってた義勇軍なんて出る幕無いと思うんですが。」

蝶野亜美の表情は険しくなり視線を落としながら角谷杏の質問に答えた。

「角谷さん、今度のアメリカ大統領がトラップになったの知ってるわよね?そして彼が在日米軍の駐留費を増大させなければ日本の防衛に加担しないって言ってた事も。」

「はい、前にニュース報道で見ました。」

「トラップは最初から日本人の為にアメリカ軍を投入しないつもりだったのよ。」

「え!……冗談…ですよね?」

「冗談で笑えればそれに越した事ないわね…。今から話す内容はまだ公になってないから信じてもらえないかもだけど、今日本中の在日アメリカ軍がグアム基地に撤収してるの。頼みの綱だと思ってたアメリカ第七艦隊も今現在四割近くがハワイ真珠湾に錨を下ろしている。恐らく全ての在日アメリカ軍が撤収した時が開戦だと思ってていいわ。
とにかくもう、なりふり構ってられないのよ!
二人共、もし中国共産党が日本を支配したらどうなるか想像した事ある?
間違いなく粛清されるわよ!男子は虐殺されるか重労働で使い捨てにされる
。女子は中国人男性と無理矢理婚姻させられ産まれた子供は自働的に中国国籍になる。実際チベットではそうやって国が乗っ取られていったの!
…それを踏まえて一度よく考えて。」

西住みほと角谷杏は呆然としていた。
蝶野亜美の言ってる事は何の誇張では
なく真実なのだろう。もう何を守り何を犠牲にすればいいのかわからなくなった。
しかし、角谷杏にとっては西住みほの事でどうしても言っておきたい事がある。

「蝶野さん!蝶野さんには悪いんですけど、西住みほさんはこの件から外してもらえませんか?西住さんは戦車道が嫌でこの大洗女子学園に転校してきました。それを私が強制的に戦車道の世界に引きずりこんだんです!だから…」

「角谷会長!!もう…いいです!その気持ちだけで私…とても嬉しく思います!」

西住みほは角谷杏の懇願を制止しながら笑顔で言った。蝶野亜美は二人のやり取りを黙って見ていた。

「じゃあ、二週間後いい返事をまってるわ。」

「それではお気をつけて。」

二人は蝶野亜美の後ろ姿を見送った。
生徒会室に二人だけとなった直後、急に疲労感に襲われた。角谷杏はソファ
ーにドサッと座り込む。

「いやー、まいっちゃったねぇ!」

角谷杏はいつもの軽薄な口調に戻って言った。

「…そうですね、急に色んな事聞いちゃいましたからね。」

「廃校を二度も阻止してきたのにさー
、よりにもよって今度は本物の戦争とか笑えねーよなー!」

「私達の戦車道って平坦な道走った事無いですもんね。」

「だよなー!しかも登り坂ばっかだし!」

「ある意味、私達らしいです。」

角谷杏はポケットから何やら取り出した。

「西住ちゃん!干し芋食う?」

「はい!」


受け取ると西住みほは笑顔でそれを頬張った。