これが本当の本土決戦death

第2章3


中国軍から日本を守る為に結成された大洗戦車道遊撃部隊だったが、その初仕事が負傷者の救出と死体の運搬作業であったのは実に皮肉めいている。

今、あんこうチームを含めた大洗女子学園戦車道部員達は壮絶な光景を目の当たりにしていた。普段見慣れた風景であるはずの大磯海岸はその印象的な鳥居も破壊され一本の柱だけがその存在の名残りを示し、波は赤く染まり、その波打ち際には人間の身体のあらゆる部位が流木のごとく打ち上げられている。

「こんな事…。わたしは絶対ゆるせません!」

「もうここに咲ける花はないのかもしれませんね…」

「早くこんな場所離れようよ!もう耐えられない!」

「必ずカタキをとってやるからな」

この地獄を見たあんこうチームの反応は各人の台詞にある様に「兵士としての最初の自覚」を窺わせたのはこの戦記の冒頭に記した通りである。
彼女達は大勢の死体の映像をテレビの記録映画などで見たことはあってもそれは古いフィルムに着色したものやモザイクの掛かった物でしかなかった。それでも戦争の悲惨を知ったかの様な気持ちになってはいたが、今、目の前にある映像は視覚と嗅覚を極度に刺激し、率直に怒りを示す者、現実から逃げたい衝動に駆られる者と様々な形となって各人の胸中に刻まれた。
ただ共通しているのはこの現実を作り出した者共に対する強烈な復讐願望であり、それはあんこうチームだけに留まらず他のチームや志願者、非志願者を問わず皆の胸の内に芽生えたのだ。


大洗町の生き残った町民達や戦車道部員達は、次々に死体を戦車に積み上げた。皆マスクを着用していたが真夏の陽に炙られた死体から放たれる悪臭はマスクを通り抜け吐き気を催すほどである。実際、大勢の者は胃が空になるまで吐き、差し入れの握り飯に手を付ける者も殆どいなかった。
そして大磯海岸には監督する者の声だけが響き渡り他の作業者は皆無言で作業にあたる。
無論、西住みほや角谷杏を引き留めようとした中年男性とその父親が生き残っているのかという事を二人は知る由も無かった。

戦車道部員達にとって被害が最も懸念された学園艦は特に凄惨を極めた。
敵機の放った二発のミサイルは艦の舷側を突き破りタービン燃料区まで達っ
した。その強大な爆発エネルギーは防水区画や居住区画を次々に突き抜け、それはやがて艦の上甲板に当たる町全体にまで波及し至る所で火の手が上がる。火炎は強い海風に煽られて被害を拡大させた。逃げ場を失った住民は熱さから逃れようとして二百メートル下の海に飛び込む。ある者は海面に激突した衝撃で腹を突き破り、またある者は落下の途中で海風にさらわれ舷側に
激突して死んでいった。
だが、大勢の犠牲者を出しても、この巨艦は沈まなかったのだ。
自動消火装置の効果が有効に機能したのである。
救助一日目に学園艦の遺体を回収するのは無理であった。部員を含む作業者達は一日中燃え盛る炎を見ながら自分達の無力さが腹にこたえるのだった。
空と海から不眠不休で消火した後、作業者達は救出作業二日目の午前七時頃学園艦への上陸を果たした。戦車道部員達はそこで両親や兄弟が殺されたのを初めて認識する。焼け残った思い出の品を遺品として持ち帰る者もいた。そして結局学園艦から命からがら逃げる事が出来たのは約一千名だったが、その中に戦車道部員達の家族は一人も居なかった。

回収作業が終了したのは救助作業二日目の日が落ちる午後六時過ぎである。大洗タワー周辺に安置された大勢の遺体に手を合わせた時初めて作業者達は嗚咽した。

総合被害は次の通りに記す。

負傷者   93651名
死者    15919名
行方不明者 3274名

倒壊家屋  17325棟(焼失を含む)

これが二度にわたる空爆で大洗町が受けた被害だ。行方不明者3274名は身元を示す事が出来ない位に身体を毀損された者を指す。機関砲やミサイルの直撃を受けたり直接爆発の煽りを受けて何の痕跡も残さず消え去った人達だ。死者達はただ虫けらの如く死んでいったのだが、その死を迎える瞬間彼等は何を思っていたのであろう。
それは中国軍に対する怒り以外には無いはずだ。大洗女子学園戦車道部員に於ける非志願者達は死者のその思いを汲み取る事を決意する。

「会長!私達も志願させて下さい!」

と、彼女達は次々に志願してきた。

「私は祖父母、両親とまだ幼い弟と妹を殺されました!どうか中国軍に復讐する機会を下さい!」

一家全滅を現実として突き付けられた部員がいる。一年生、ウサギさんチームの車長、澤梓である。
角谷杏は梓の目を暫く見たが彼女は視線を反らさず瞬き一つしない。杏には梓が本気であるのを認識したのだが、前述した通り一年生は残留させる取り決めである。部員の中には九人の一年生がいた。

「…済まないが一年生はこの戦いには参加出来ないよ。」

角谷杏は静かに言い放った。

それを聞いた一年生達は唖然とする。
角谷杏の口振りがだんだん自分達の気持ちを汲んでくれない冷徹な印象に思えて来た。頭に血が上っている彼女達は当然黙ってはいない。

「何故ですか!?そんなの不公平です!」

「あのな、私達は死ぬかもしれないんだよ!?だからお前達は何とかこの戦争を生き残ってさ、私達の戦車道を遺して貰いたいんだよ。まあ、謂わば保険だ。分かってくれ。」

角谷杏は相手の目を見ずに諭した。
一年生達は一斉に反論する。

「…何が保険ですか!?ふざけないで下さいよ!」

「じゃあ、家族を殺された私達の思いはどうなるんですか!?納得いきません!」

「お願いします、きっと役に立ちますから!私達、黒森峰のヤークトやエレファントだって撃破したんですよ!」

「…それに、バレー部復活はどうなるんですか?磯辺先輩だけ残して私達だけ逃げるなんて絶対ありえません!」

角谷杏が言葉に窮するのを西住みほは
黙って聞いている。その場から逃げ出したかった。想定外の状況に彼女自身
混乱したからだ。
今、目の前で繰り広げられる会話は奇妙な逆転を伴っている。
ほんの二、三日前までは志願者に対して非志願者は何か後ろめたい気持ちがあった。志願者達も自身が危険の矢面に立ち非志願者達に生存への逃げ道を
与えているのだから寧ろ感謝されて然るべきだという思いが心の隅にあった
のは否めない。
しかしそれが逆転した。非志願者も親兄弟を焼き殺され戦争に対する姿勢が恐怖から復讐心に変わったからだ。
みほは隊長として一年生達に命令を下す立場だが、みすみす家族を殺され復讐の機会も与えられない一年生達の気持ちを考えれば「黙って引き下がれ」
とは軽々しく言うべきではないと思った。

河嶋桃は身分不相応な発言を繰り返す一年生達に対して怒鳴り散らす。

「おい、お前ら!会長の命令が聞けんのか!?口答えにも程があるぞ!一体何様のつもりだ?いくら家族が殺されたって……」

言葉に詰まった桃はみほの顔を見て、

「西住…お前が言え。」

と言った。その時の桃の眼は人間が何かを諦めた時に表す様な悲しいものである。みほは河嶋桃の気持ちを察し、意を決して一年生達一人ひとりを諭す様に言った。

「澤さん、坂口さん、丸山さん、宇津木さん、大野さん、山郷さん、河西さん、近藤さん、佐々木さん、あなた達の気持ちは痛い程判るよ、でもここは引き下がってくれないかな?私はこの学校の戦車道部が大好きだし部員みんなも大好き。だから全てを失いたくないの。…中国軍と戦えば死んじゃう人だって出るだろうし、…もしかしたらみんな死んじゃうかもしれない。だから誰かが残って戦車道部を存続させる
ことが必要なの。辛い事かも知れないけれどその役目をあなた達に託したいんだ。
そしてこれは私の勝手なお願いなんだけど、もし私達がみんな死んじゃったらあなた達が私達の事を後生に伝えて
欲しい。そしてたまにでもいいから思い出してくれたら嬉しく思うな。
もし戦争が終わった後に他の人が
“若気の至りで死に急いだ高校生いたんだあー”とか”あんな古い戦車で戦うなんてバカだなー“ 
なんて思われたら悲しくなるし死んでも死にきれないよ…。だからお願い!一方的な事言ってるのは分かってる、あなた達の仇は必ず果たすから私達の願いを聞き入れて!」

みほは深々と頭を下げた後、最後に一言付け加えた。

「…これは、隊長としての最初で最後の命令です!」

一年生達は暫く黙りこんでいた。彼女達の表情は全てを納得したとは言えない様な不満を表していて、何か言いたそうではあるが言葉にするのが難しいといった感じである。


ただ一人、ウサギさんチームの操縦手阪口佳利奈は目に涙を溜めて反論した


「…言いたい事は判りました。でも、必ず仇は討つって西住隊長はいいますけど、隊長達だって何も出来ずに死んじゃうかもしれないじゃないですか!もしそうなっても私達には復讐の機会は与えられないんですか?明日には自分の命さえも保証出来ないんですよ?隊長達は自分達だけで戦って私達に生き残る道を与えていると思っているんでしょうけど、その身勝手な偽善を私達に押し付けるのはやめて貰えませんか?!」

「貴様ら、言わせておけば…」と拳を
握りながら佳利奈ににじり寄る河嶋桃を角谷杏が片手で制して引き止めた。
杏は佳利奈の前に立つと怒りに充ちた
眼で一年生達に言い放った。

昨日からお前らも嫌というほど見てきただろ?人間がぐちゃぐちゃになって死んでるのをさ。私はお前らがそんな姿になるのを見たくはないんだよ。そして阪口佳利奈、お前らウサギさんチームは戦闘に巻き込まれたら真っ先に死ぬ。さっきも自分達の事、重戦車キラーだみたいな事とか言ってたよな?普段からお前らが無意識に持ってるその“慢心”が命を縮めるんだよ。
それにアヒルさんチームだって装甲の薄い八九式で復讐なんか果たせると本気で思ってんのか!?それにバレー部を復活させたいし復讐も果たしたいとかそんな中途半端な気持ちで付いて来られてもこっちが迷惑だ。
…要するにさ、足手まといなんだよ、お前らは…。」

二年生、三年生は角谷杏が敢えて悪役を演じているのを理解していた。ただ
アヒルさんチームの二年生磯辺典子だけは複雑な表情である。そして、杏の心情は結局一年生達に通じたとは言えなかった。

「…確かに一時期は重戦車キラーなんて自慢してたけど今は違います!会長だってこれまで私達の事ずっと見てましたよね!?」

「ああ、見てたよ。でもな、人の性格の根っこの部分なんてのはそう簡単に変わりゃしないのさ。」

「じゃあ、私達が変わったのを戦場で証明して見せます!」

「駄目だ。」

「あの…会長!八九式だって中国戦車は無理でも歩兵相手だったら戦力になるはずです!鉄砲一つで戦おうっていう高校生だってたくさんいるんですよ!?何故私達だけ…」

「…だから駄目だって言ったろ!?」

「何故ですか!?納得する理由を教えて下さい!」

「判った。…じゃあ、教えてやるよ。これまで我々は学校を廃校から救う為に戦車道を始めた。命を奪われる事の無いルールや条件に則ってな。
…しかし、もう今までみたいな戦争ごっこはおしまいだ。…いいか?私達はもう戦車道”部員“じゃないんだよ。“兵士”になったんだ。兵士ってのは上官の命令に対して絶対服従ってのは当然判るな?…そしてお前らはさっき、我々の隊長である西住ちゃんに反抗する態度を取ったのを忘れちゃいないか?…この際だからはっきり言うが、それが誰であろうと命令を聞けない奴は兵士とは認められないんだ。もしそんなのが一人でも仲間の中にいる限りヘタすりゃ味方が十人、いや、全員死ぬ事だってあるかもしれないんだよ!…これが理由だ…満足したかい?」

角谷杏は表情一つ崩さず演技した。
河嶋桃は下を向いたまま時折袖で顔を拭っている。自分の敬愛する人物の心情を不憫に思ったのか、恐らく泣いているのだろう。

「会長の言いたい事は判りました。じゃあ私、たった今戦車道を退部します。そして一人で戦います。それなら文句は無いですよね?」

アヒルさんチームの砲手、佐々木あけびは強い調子で言った。角谷杏の辛辣な台詞に対して売り言葉買い言葉的反発ではないのはその真一文字に結んだ口許が表している。
あけびの言葉に一年生全員が同意した


「先輩方、今日まで色々とお世話になりました!」

「ではみなさん、どうぞご無事でさようなら…。」

口々に惜別の別れを告げる一年生達に混じって、ウサギさんチームの装填手の丸山紗季は鞄からある物を取り出し上級生各チームにそれを一つづ配った。チーム名になっているキャラクターを縫い付けてある御守りである。

「…これ、戦車の中にぶら下げて…。」

極度に無口な紗季はそれだけ言うと、一年生達の後ろに隠れるように上級生の視界から消えた。

一年生達は振り向かず歩きだす。

「ち、ちょっと!みんな待って!」

その後ろ姿を追いすがる様に叫ぶ西住みほの前にアヒルさんチーム唯一の二年生、磯辺典子が上級生達の前に急に立ちはだかった。

「あの…。すみません!私も退部して八九式で戦います!今までお世話になりました!」

典子は罰が悪いのか泣き顔を見られたくなかったのか、頭を深く下げたまま踵を返して一年生達の後を追う。

「磯辺さん、待って!…角谷会長も何か言って下さい!」

みほは杏に懇願したが、彼女は憮然とした表情で一年生達の背中を眺めていた。

「西住ちゃん、もう、いいよ!あいつら人の気も知らないで勝手な事ばかり言いやがって…。」

「会長。あの子達、いつかきっと分かってくれるわよ…。」

小山柚子は優しく杏の肩に手を添えた
。杏はただ「うん。」と一言返事を返すと西住みほの顔を伺い一瞬泣き顔にも見える表情で苦笑する。
一年生達を上手く説得出来なかった事に自己嫌悪を感じているのだろう。

「…西住ちゃん…ゴメンな。」

みほは自分に対して杏が謝罪した時、卑屈な笑みを浮かべる彼女に心底同情した。何故なら、生徒会長に君臨する角谷杏は権力者として生きる事と引き換えに”優しさ“を捨て去っているのを知っていたからである。それと同時に隊長であるみほも杏とは逆に部員達に対して権力を振りかざす事が出来ず優しさのみで部隊を引っ張って行く事に些かの不安を感じていた。自分と角谷杏は立場は違えど似た境遇なのだ。


急に仲間を九人も脱退させてしまった上級生達は暫し茫然としている。

急に海岸に居た人だかりからざわめく声が聴こえてきた。声の主達は口汚い罵声と殺意に充ち、その人数はどんどん膨れ上がると、やがて百人前後の集団となった。

「何だ!?えらく人が集まってるな。生存者でも居たのかな?」

冷泉麻子はその集団を見て訝しみ、
部員達は麻子の視線の先を注視する。

「…いや、多分違います。なんだか皆怒ってますね…。軍服姿の人が…自衛隊員でしょうか?群衆が邪魔してよく見えません…。」

鞄から双眼鏡を取りだした秋山優花里
はレンズ越しに見える状況を皆に説明した。

「ちょっと私達も行って見ようよ。」

武部沙織は五十鈴華に同意を促がした。

「…そうですね。…何だか嫌な予感がするけど行きましょう、皆さん。」

あんこうチームの会話は部員達の足を自然と海岸方向へ向かわせた。


海岸には一隻の海上保安庁の哨戒艇が岸から五十メートル程離れた位置に停泊している。そこから三人の男を載せたゴムボートが降ろされた。
両脇に海上保安庁職員、真ん中に飛行服姿で憔悴しきったずぶ濡れの男。
航空自衛隊によって撃墜された中国人パイロットであるのは誰の目にも明らかだ。
群衆は足下に落ちている石や漂着ゴミを投げつけて罵詈雑言の言葉をそのパイロットに浴びせた。両脇の保安職員は群衆の殺気を危険な兆候と判断したのだろう、腰の拳銃を抜き空に向かって一発発砲する。

「て、てめぇ!なにすんだ!そいつぁ敵だぞ!」

周りの最前列に居た者は怯んだ。

「いいから下がって!」

海保職員は尚も拳銃を握ったまま殺気に充ちた群衆の中を通り抜けようとす
る。

「何でそんな奴庇うの!?私は子供を二人も殺されたのよ!」

「俺もだ!そもそもあんた等、何の権限があってそいつを護衛してんだよ!?」

「…しょうがないでしょう!我が国は百年前からジュネーブ条約に調印してるんですよ。戦争捕虜に対していかなる仕打ちも殺害も許されないって事でね!」

群衆の表情はこわばった。
そして自分が護られる立場だと周りの空気で気付いた中国人パイロットはうなだれた格好で引きずられてはいたが垂れ下がった前髪から見えるその眼は微かに笑っていた。

その瞬間、戦車道部員達の中で騒ぎが起こった。
カバさんチームの車長兼通信手、仲間内からエルヴィン呼ばれている松本里子が群衆を掻き分け中国人パイロットに近付くのを他の部員が押さえこもうとしていた。彼女の手にはどこで拾ったか不明であるが底の割れたビール瓶が握られている。

同じチームのカエサルと渾名された鈴木貴子は里子から瓶を奪おうとしながら説得した。

「おい、やめろ!ここで暴れたらお前までしょっぴかれるぞ!」

「いいからその手を離せ!あの野郎の足にコイツをぶっ刺して歩けない様にしてやる!」

群衆の中から声がした。

「姉ちゃん、歩けない様にってやけに親切だな?いっその事、そいつで刺し殺してやりゃいいじゃねえか。」

「ああ、勿論ぶっ殺すさ!取り合えず生け捕りにするんだよ!ゲシュタポも裸足で逃げ出すような拷問をやってから最後に75ミリ砲で肉片一つ残らずにふっ飛ばしてやる!」

威勢のいい啖呵を切りながら三人掛かりで押さえられても尚、中国人パイロ
ットにじりじりと迫って行く。

「エルヴィン!いい加減にしろ!」

「…何て馬鹿力だ!」

「おい、待て!チャンコロ野郎!こいつで両足かっ切ってやるから逃げるんじゃねぇ!ジュネーブ条約なんざ、糞
っ喰らえだ!」

その時、里子の振りかざした割れ瓶はカエサルの右腕を切りつけてしまった。「痛っ!」と呻くと貴子はその場で中腰になり傷口を左手で塞いだ。近くにいた部員達が応急に当たった。

「いや、大した傷じゃないよ!自分でやるから誰かエルヴィンを頼む!」

里子は自分の行動の結果、大切な友人を傷つけてしまった事にショックを受けたようだ。その場で泣き崩れてしまった。
松本里子は今回の空爆の目標から外れた茨城県つくば市の出身である。
しかし彼女の両親は娘の戦場行きを反対し、説得する為に学園艦に留まっていた。そして今回の空爆で無残に焼き殺されたのである。

「おい、君達その子の仲間だろ?早くここから立ち退いてくれないか?俺達の立場も分かってくれよ。」

海上保安庁の職員は早口で捲し立てると手のひらを動かし戦車道部員にこの場からの退去を促した。

「はい、もう大丈夫ですから!」

小山柚子は精一杯の作り笑顔で対応する。無駄に反抗的な態度を取って事を大きくしても損をするのはこっちだ。

「おい!よく聞けお前ら!くれぐれもさっきみたいな軽挙な真似は絶対するなよ!…おい、カバさんチーム!早いとこそいつを黙らせろ…。」

河嶋桃の言葉は少々きつめだが、いつもの迫力に欠いて、普段から生活指導の教師のような目付きの彼女からは想像出来ない程の憐憫を窺わせた。

松本里子は他のチームメイトに押さえられたまま号泣している。

「私のせいだぁ!…私が遊撃隊に加わるなんて言わなきゃ父さんも母さんも死なずに済んだのにぃ…くそっ…おりょう、佐衛門佐ぁ……カエサル…私を殺してくれぇ…。」

里子は持っていた割れ瓶をすぐ近くに居たにおりょうと渾名される野上武子に手渡した。

「さあ…殺ってくれ。」

両腕を拡げる彼女の姿はまるで膝をついたキリスト像のようである。武子は里子の顔を見ると白い歯を出しにかっ笑った。里子の泣き顔が更に歪む。

「辛いのはおまんだけじゃ無いきに。しかも…こんなもんで友達を殺せる訳が無いじゃん…。」

武子は割れ瓶を後ろに放り投げると放物線を描くように落下した瓶は岩にぶつかり「ガシャン」と派手な音を立てて粉々になった。
部員の中には松本里子と同じような境遇を持つ者も少なくない。大洗町以外に出身地を持つ者も里子と同様に大洗町で親を殺されている。

秋山優花里は毅然と里子に近付きしゃがみ込むと両手で彼女の両肩を掴みながら言った。

「御両親を亡くされたのはエルヴィン殿のせいではありませんよ。徹頭徹尾
支那人供のせいなんです…。それに…自分から死んじゃうなんて私、絶対許しませんよ。…そんなつまんない事考える暇があったら奴等に復讐してやりましょう!勿論私も一緒に戦います。…そして冬になって、もし茨城県のどこかに雪が積もったらまた私と“八甲田山ごっこ”に付き合って下さい!約束ですよ。」

掌に雪の様な白い砂を浚いそれを眺めながら里子は呟いた。

「…そうだな。あの時の”雪の進軍“は
ほんと楽しかった…。」

「私もです。実はあれ、まだ続きがあるんです!」

「…そうなのか?」

「はい!」

里子は顔を上げた。

「じゃあ、この戦争、冬が来る前にケリを付けよう。秋山さん!その後に雪の進軍の続きをやるぞ。」

「はい、了解です!!じゃ、指切りしましょう!」

「ははっ…いいよ、ガキじゃないんだから。」

無理矢理秋山優花里との指切りに付き合わされた里子はやがて笑顔に戻っていた。彼女は立ち上がり鈴木貴子の元へ行くと心配気な表情で謝罪した。

「カエサル、すまなかった!私が気を取り乱したせいでお前にこんな怪我させて…まだ痛むか?」

「いや、気にするな!大した怪我じゃないから。まあ、この怨みは敵にぶつける事にするよ!」

里子は落胆したように下を向いた。

「あはは、怨みってのは冗談だ。本気にするなよ!?」

「…ありがとう…でも、いつかこの穴埋めはさせてくれ。」

あたりは暗くなり始め、大磯海岸から人影もまばらになってきた。

「じゃあ、私達も我が家へ帰りますか?」

二人の間にわだかまりの無い事に胸を撫で下ろした秋山優花里は「帰宅」を
部員達に促した。
だが彼女達に帰るべき家など無いのは皆も承知である。今や大洗戦車道部員の根城は山の中腹にひっそり佇むあの木造校舎のみになってしまった。
そして部員達は今回の悲劇を境に、より強い絆で結ばれた「家族」または、
強烈な戦闘意欲を持った「学徒兵」となったのだ。
以降、この手記でも便宜上「部員」という単語から「学徒兵」へと呼び名を変更し物語を進めていこうと思う。その方がより当時の戦時下に近い空気感を表現出来るからだ。


木造校舎に帰り着いたのは午後8時頃であった。

戦車八両の内、二両がその姿を消していた。
M3リー戦車(ウサギさんチーム)と、
八九式戦車(アヒルさんチーム)である
。例の脱退劇の後、この二つのチームはこの木造校舎に立ち寄ったらしい。

二両の履帯の跡を辿ると、真っ直ぐと運動場に向かっていて、木造校舎と別離を惜しむかの様に二、三周走行した痕跡を残している。
その後、ウサギさん、アヒルさんチームの宿泊する教室に行ってみると、荷物類が無いのは勿論の事、教室内は綺麗に清掃されていた。学徒兵達の目を一際惹いたのはその黒板に描かれた色彩豊かな絵である。
大きく”必勝!大洗学園“と書かれた文字の周りには各チームのキャラクターが描かれて敢闘を誓う短い文章が添えられていた。まるで体育祭の前日を思わせる暢気な絵であるのだが、それが却って学徒兵達の心に安心感を与えた
。何故なら一年生達は心の底から上級生に対して嫌悪し袂を別った訳ではなかったのだから。

小山柚子は教壇の引出しから紙の束を見つけた。

「ん?小山、それ何だ?」

角谷杏はふと小山柚子の手にある束に目をやる。

「…退部届ですね。律儀だなぁ…あの子達…。」

音読を託された角谷杏は一枚一枚早口に読みあげたが言葉に詰まり途中で止めてしまった。

「…それって退部届って言うより遺書じゃないですか…。」

河嶋桃は俯きそれだけ言うと教室を出ていった。